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降り注ぐ拍手と地鳴りのような大歓声に包まれて

2024年7月某日。
会社のエントランスに、とある応募用紙がポツンと置かれていました。
手に取って読んでいると、受付嬢の方が優しく微笑みながら話しかけてきました。
NAHAマラソンに参加するんですか?

こんにちは、だいきです。

学生時代にサッカーはしていましたが、特に体力に自信があるわけでもなく、マラソンに参加したこともありません。
『何か新しいことを』という気持ちだけに従って、『一旦』という言葉を大事にして、取り敢えず応募してみることにしました。

10月初旬。
本番2ヶ月前になってようやく、締め切り効果を発揮して走る練習がスタートしました。月水金で取り敢えず10kmだけ。
NAHAマラソンの完走率は国内でも低いことで有名らしく、12/1の当日は26℃と、12月とは思えない予報でした。
私や、会社で一緒に参加する同僚は、前々日に特大ステーキを食べにいき、腹を括りました。

12月1日本番当日。
約23,000人の参加者が奥武山運動公園に集まりました。私は初参加で完走が目標だったので、後ろから2番目のブロックKからスタート。
スタートしてから15分くらい人が動かず、ただ棒立ち状態が続きました。不利すぎる。。

ただ、走り始めてからすぐのことです。ほんの数km走っただけで、あぁ参加して良かったなって心の底から思いました。
まるでお祭り騒ぎです。夏フェスに匹敵するワクワク感。声援は、知人だけでなく私たちランナー全員に向けられているのがわかりました。
ある場所では大勢のチアガールから応援をもらい、またある場所では中高生の吹奏楽や野球部の声援をもらい、そしてほとんど至る所で地元の人から水やお茶、塩分チャージ、氷、冷却スプレー、そして沢山の元気を貰いました。私は見つけきれませんでしたが、中にはハブ酒や泡盛、サーターアンダギーなど、ランナーを潰しにかかるおふざけの応援もあったようです。びっくりしたのは、マラソンの後半で吉野家が牛丼を提供していたことです。もちろん無料。全国チェーン店なのに融通が効く良い企業だなってビックリしました。子供達の可愛い応援、おっちゃんの腹から出てる声援、有志のバンドの演奏やエイサーの演舞など、全力で応援されている事に、少し涙腺が緩みました。皆んな言ってた。頑張れー!笑顔!笑顔!

マラソンで知り合った方で、四国からNAHAマラソンのためだけに来た人が言っていました。

マラソン好きの友人が、NAHAマラソンは人生変わるって言ってたから、初のマラソンをここにしたんですよ。

人生変わる話を本気で信じてるとこ、ちょっと可愛い笑笑
基本炎天下だし、ここまで過酷なマラソンはあまり無い。だけど、ここまでガチで応援されるマラソンはまぁ無い。そう言う事だそうです。

第一制限地点を越え、第二制限地点も越え、それでもゴールは10km先。肺は大丈夫でも、足は疲労困憊。痙攣し、攣り、感覚があるのか無いのかもう分からない。というかそんなこと気にする余裕ない。ひたすらゴールに向かうだけ。30km地点からはもう過酷すぎる。練習はとても大切と思いましたが、それ以上に大事なのは結局、本番の気持ちの部分でした。
もう気合い、根性。精神論がモノを言う世界。
最後は結局それに尽きます。

そして残り3km。小禄駅付近。
ランナーも、応援の列も、モノレールの線路も一直線に、はるか遠くまで見える下り坂。
それを下り切ると左に曲がって遂に奥武山運動公園に入ります。隣を走る女性ランナーが子供から応援をもらっていました。
お母さん!もう歩いても間に合うよ!無理にしないで良いからね!って。
それでもそのお母さんは、ありがとうって言いながら、最後まで走りきっていました。

おかえり!おつかれ!もうすぐメダルだよ!
降り注ぐ拍手と地鳴りのような大歓声に包まれて、笑顔でゴールテープを切れました。
応援してくれる皆さんの声が無ければ、正直ゴール出来なかったと思う。

達成感と疲労感と汗とビールでもうぐちゃぐちゃです。帰りに龍神の湯という温泉に行きました。そこにはNAHAマラソン後のランナーが沢山いて、何人かとは仲良くなって温泉に浸かりながら長話していました。
何でランナーって分かったかって?
そりゃあ、歩き方で分かりますよ。

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