「Land Bridge Project」はタイ経済の起爆剤となるか?
タイでは大手デベロッパーSansiri社のCEOであったSrettha氏が2023年8月に第30代首相(財務大臣も兼務)に就任してから約9カ月が経過しました。政権与党となったPheu Thai党(พรรคเพื่อไทย)は、昨年の選挙公約として、1)デジタルウォレットを活用した1万バーツの支給、2)最低賃金の引上げ、3)大学学部卒の初任給引き上げ、4)農民による借入金の元本および金利の3年間減免、の4つを経済政策の大きな目玉にしています。これらの公約達成で消費が喚起されれば一時的にタイのGDP成長をブーストする効果は出るかもしれませんが、根本的な生産性の改善を促すものではないため、輸出主導のタイ経済を持続的に強くする施策ではないでしょう。
経済政策の実現には政治による一貫性のある粘り強い取り組みが必要なため、短期のポピュリズムに屈しない安定した政権の存在が重要です。タイの政治は、国外に逃亡していた前首相タクシン氏の15年ぶりの帰国後、カリスマ性のある同氏の言動が非公式であっても今の政治に無視できない影響を及ぼしているとの見方があり、Srettha氏は政治運営におけるタクシン氏の影響を否定していますが、タクシン氏の娘であるPaetongtarnがPheu Thai党のリーダーに選出され、時期首相候補とも目されていることから同氏の影響は無視できないものと思われます。現政権のこれまでの評価は分かれるところですが、タイの強みを戦略的に生かそうと首相が自ら先頭に立って海外からのタイ投資を促進するために「ロードショー」をセールスマン的に実施している点は評価に値します(国内問題をおざなりにしているという批判もありますが)。この中で、今回は現政権が推進しているメガ・インフラ整備プロジェクト、Land Bridge Project(パナマにあるような運河ではありません)の是非に焦点を当てたいと思います。
Land Bridge Projectとは?
タイはその立地から東南アジアの要衝の地であると言えます。この地理的優位性を生かし、現政権はLand Bridge計画を推進しています。現状、世界の船舶は太平洋とインド洋を海路で往来するには狭くて混雑しているマラッカ海峡を通過する必要がありますが、代わりにタイ南部に建設を予定しているLand Bridgeを通って迂回することができれば輸送コストと時間を節約できるというものです。この壮大なプロジェクトを簡単に整理すると以下のようなイメージです。(出所:タイ投資庁)
総投資予定額:約1.1兆バーツ(約305億ドル)
第1フェーズ(約6,000億バーツ、約167億ドル):Ranong港の建設、90kmの高速、鉄道、パイプラインの敷設工事
第2フェーズ(約1,700億バーツ、約47億ドル):Chumphon港の建設、90kmの高速、鉄道、パイプラインの敷設工事
第3フェーズ(約2,300億バーツ、約64億ドル):環境保護対策の実施
第4フェーズ(約900億バーツ、約25億ドル):完工後の運営開始とモニタリング
プロジェクト概要
プロジェクト範囲:建設するChumphon港(東のタイランド湾側)とRanong港(西のアンダマン海側)との間を鉄道および高速で繋ぐ。他にガスや石油のパイプライン建設など。港湾キャパは40百万TEU。
プロジェクト期間:15年(2040年までの完成を目指す。向こう2年間のロードマップは以下)
2024年には、1)ロードショー、2)関連法案の制定、3)プロジェクト事務局の設置、4)事業性検証とプランニング
2025年には、1)環境影響アセスメント、2)プロジェクト入札提案の受付(RFPという)、3)土地収用、4)業者選定
2026年には、1)土地収用、2)業者選定、3)コンセッション契約の締結
プロジェクトの採算性:24年以内に投資回収、正味現在価値(NPV)は2,570億バーツ、投資リターン(EIRR)は17.4%の見込み
プロジェクト運営方式:政府が用地接収を実施し、運営会社には50年のコンセッション権を民間に付与する官民連携パートナーシップ方式(注:国際入札を通過したプロジェクト会社が港湾管理、輸送、不動産、工業団地などの運営権利を一体として有するJV運営を想定)
プロジェクトの経緯:Land Bridgeプロジェクトは2018年に閣議決定したタイの南部経済回廊(Southern Economic Corridor)の一部であり、国土交通政策計画管理庁(OTP)が事業性検証を担っています
主なメリット:
輸送時間とコストの低減:太平洋⇔インド洋の海上輸送コストがマラッカ海峡を使う場合と比較して15%低下、平均で4日の輸送期間短縮
経済波及効果
国内GDPを5.5%成長にまで押し上げ、28万人の新規雇用創出
EEC(東部経済回廊)、Mekong経済圏を含むアセアン、中国を結ぶゲートウェイ
主なデメリット:地域住民(漁師など)の生活、自然環境への悪影響懸念
この計画自体は今までずっと検討されてきましたが、未実現だったKra Canalプロジェクト(約250億ドルの開発費用がかかるタイ運河計画)の再来と言っても良いかもしれません。一帯一路構想を進める中国もかつてはこの運河建設には前向きな姿勢を示していましたが、運河建設による分断や土地接収がもたらす法的な要因、環境への影響、また費用対効果からこの野心的な運河計画を前のプラユット政権は棚上げしました。代わりに、2018年に閣議決定した南部経済回廊の一部として事業性の検討が継続されてきたようです。
今年2月には、政権与党Pheu Thai党のWisut Chaiyarun議員が議長を務める特別上院委員会が公表した報告書をもとに賛成多数でプロジェクト推進が可決されましたが、野党のMove Foraward Partyはプロジェクトの事業性、環境保護や地域住民の生活保護の観点からプロジェクトの推進には反対しており、意見が二分している状況です。
果たして事業性は成り立つのか?(Bankabilityの観点)
まず、海運業者がこのLand Bridgeを活用するメリットが見いだせず、この通行料を支払うインセンティブが発生しないという需要リスクが存在する以上、一体誰がこのプロジェクト(恐らくJV会社)に投資するのかという疑問が湧いてきます。コンセッション形式のプロジェクトにおいては、例えば民間投資家の権限を超越した土地収用の領域について政府保証が付けられ、ある程度の需要リスクがコンセッション契約によってヘッジされる場合には、官民連携パートナーシップ(PPP)の形でプロジェクトファイナンスを組成できる可能性がありますが、タイにとっては莫大な投資額に見合った相応のリスクを引き受けることになります。今後、タイの財政が悪化する懸念が取沙汰される中で本当にこのプロジェクトは実現するのでしょうか?
勿論、純粋な事業の採算性だけではなく、地政学的な事情、軍事面なども考慮した国家戦略的な判断が必要なのは言わずもがなですが、そもそも資金が集まらないと事は始まりません。
ここから先は
¥ 50,000
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?