恥という感情について
あなたは、恥についてわざわざ考えることがあるでしょうか?
「もともとの性格」とか「失敗して恥をかいた」というような「すでにありき」とか「当たり前の結果」として捉えている人が多いのかもしれません。
ただ、意地の悪い私は、以前から人に恥をかかせて「恍惚の表情」をしている人がいることが気になってました。
なんか趣味のような中毒のような……
だから、恥について調べたのですが、やっぱり恥を支配の道具として使う人たちもいるようです。
ピーター・ブレギン博士は、このように言います。
恥は、私たちを無力または無意味だと感じさせることによって、機能します。
私たちは失敗し恥と屈辱の増大に耐えることを恐れて、自分自身を主張することを禁じられています。
この短い言葉の中に、いろんな意味が入っているように思いました。
これを悪意のある人が、弱者などにつかったとすれば、きっと効果てき面です。
まず、失敗させるようなことをさせ👉恥をかかせ👉自信を無くさせて👉自己主張をしないようにさせ👉支配する
このようなカラクリです。
これって、意外に子育ての時に、やっていたりしませんか?
「ほらやっぱり失敗したじゃない!あなたはダメね」など……
また、敵国とか支配したい国が、やる作戦にも似ているかも。
また、ピーター・ブレギン博士は、恥と言う感情はその人を衰弱させる力がある。とも言います。
このように、恥をかかせることで、メリットを感じている人がいることに気づいたでしょうか。
では、恥をかかされた人が、結局 一番惨めで不幸になるのでしょうか?
私は「ノー」と言いたいです。
恥をかかされた人は、その真実に気づけば、恥をかかす人から離れることができます。
でも、恥をかかせることで支配することを覚えた人は、自分自身がそのことでメリットとか中毒性のものを得ることを覚えたので、そうそう抜け出せるものではないと思います。
失敗体験は依存性は低いですが、成功体験は非常に依存性が高くて、そのやり方を変えられずにいる人が、実に多いこと多いこと。
何度失敗しても、恥を使って人を操作しようとして、最後には誰からも相手にされず、そして最後には半狂乱のようになって世の中を憂うのだと思います。
あなたは、どちらでしょうか?
つまり、恥をかかされているうちは、「人としてマトモ」ってことだと私は思います。