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残飯 32
藤林邦夫の3分メッセージ(『生きる楽しみ』1991年版、pp.43−44。)
賀川豊彦の『死線を越えて』の映画を見ると、大正期のスラムの実態を少しく知ることができます。が、明治、大正期のスラム街の多くは、陸軍や海軍の用地に近いところにありました。
その理由は簡単で、「残飯」が多く出たからだそうです。
つまり、士官学校や兵学校、また鎮台といわれた軍隊からは、おびただしい残飯、鎮台飯が出て、それもかなり上質のものであったので、貧しい人たちは、そのおこぼれに与って生活していたのです。
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軍隊というのは、世の中の好不況に影響されずに、安定して残飯を供給するので、軍隊から味噌汁の冷めない距離に住むのは、下層階級の人にとっては、1つの智恵であったという訳です。
今頃はどうかと言いますと、まずホテルの周辺、また飲食店の多いところで、浮浪者はかなり美味しいものを入手でき、気を付けねば糖尿病になると言われています。
何しろ、その日の仕事を終わると、ほかほかのご飯でも、ポリ袋に一杯捨てるなんて話を聞く位ですから。暖衣飽食の現代風俗とはいえ、悲しいような、寒々としたような気持ちになります。
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イザヤという旧約聖書の預言者は、
「災いなるかな、彼らの酒宴には、琴あり、竪琴あり、鼓あり、笛あり、ぶどう酒がある。しかし、彼らは主の御業を顧みず、御手のなされることに目を留めない」
と叫んでいます。
つい一昔前まで、スラム街があり、食うに困る人も多かった日本。それがどうでしょうか。夢のような今の繁栄と豊かさ。その中で、主の御業、主の憐れみのあったことを忘れてはなりません。
災いなるかな!と神の声を聞くことのないよう、身を慎み、気を付けて参りましょう。
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<著者紹介>
藤林邦夫 1935年(昭和10年)生まれ。日本純信聖書学院自主退学、京都福音教会で、35年牧師として従事。ホザナ園園長も務めた。1992年2月26日、56歳で召天。この一連のエッセイは、亡くなる直前に、4年間にわたり、3分間テレフォン・メッセージとして書き溜めたもの。
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