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大半の歯車が世を回す

皆が何故そんなに自我を通すのか、私にはその強さなのか無知なのか、分からないが凄いと思う。その肯定力が凄いって。
私は自分だけが正しいとは思えない。誰かの歌に人はそれぞれの正義があって。って言葉に共感する。そう思うから。
でも私はそんな自分をスペシャルだと思ってた20代があって、そしてそれから並以下だって知るには長い年月がある。後悔にも似たものがある。それが自分が出した結果だし、そう思いながらその通りの答えを出された感じだ。だから、後悔とも言い難い。
私が社会に出たのは21歳か。初めて働いた会社は今はない。秋葉原の駅を降りたら今もそのビルはある。数年前に行ってみたが今もそのままだ。耐震補強大丈夫?って思う。
楽しい会社だった。店頭販売でね。その頃の話は色々あるんだけど、今度にする。
その会社を辞める時に、満員電車に揺られて朝早くから。馬鹿馬鹿しさとこんな風に終わるのは嫌だなんて思ってた。けど、それが9割の人だって、そしてその9割の人で成り立つ社会だって知るにはまだ若かった。それは尊敬すべきで、私には出来なかった。同じ会社で定年まで働く事の大変さは分かる。
そして目的なく無職になる。
そこから変な縁なのか親のおかげでワーキングホリデーでオーストラリアに行く。その後押しになったのは、AIRJAM97だ。Hi-standard。知ったのFATのオムニバスアルバムで、日本人だと分かった時は驚いた。まぁ、その1年の話もまた後に。
これが勘違いを生み、そして帰国後にも時流に乗り更なる勘違いを起こす。
人は大半が平凡だ。それは悪い事ではなくて大切な事。そう生きる見えない大変さを皆知らず知らず生きていると思う。私は勝手に登り勝手に堕ちた。今のところは失敗中。つまり本当のオチがくるまでは分からない。もし死んでしまうタイミングがきて、思い返す事が出来たなら、その時の答えが全てなんじゃないかな?って思ってる。そんな振り返る余裕もなく死んでしまうなら仕方ないけど。
失敗したことすら忘れていたけど、私もよく失敗している。大した行動でもないけれど、失敗ばかりだ。
確実に秀でた人でもないし、ありきたりな大人だ。それでいいし、それが良い。それでも私の生き様は私にしかない生き様で私だけの唯一無二だから。私は私しかいないのだから。

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