自己紹介の様なもの 1
意外にもnoteと云うものを導入して、一年が経つらしい。
書き記したい事は山程あるが、先ずは自己紹介と云うのが妥当ではあるかとの事で、筆を執ってみる。
これは過去の自分を整理し、受け入れ、新しい未来、本当の自分を見出す為の側面もある。
iPhoneでWordを使っての執筆となるので、いざ投稿した際の見難さだったりは、ある程度受容頂きたい。徒然なるままに書こうと思うし、振り返りながらの随筆なので、中身は無かったり、多少散文的にはなるかと思われるが、こちらも御容赦を。
さて、では早速秋冨大二郎と云う人間の来歴を軽く。
両親の事に関しては、今回は多少割愛させて頂く。
1987年2月1日、田原大二郎は、田原家の次男として、福岡県大牟田市にて生を受ける。
父、田原淳也、母、桂子。
父は当時の電電公社(現NTT)の社員。流れ者の家ながら、成績優秀、スポーツ万能、結構モテたらしい(笑)良きにつけ悪しきにつけ、これは現在も。
親は土建業を営み、なかなかの成功を遂げるが、知人の借金の連帯保証人になり、それを丸被りして没落。
母(旧姓であり、現在は秋冨。当時田原桂子)は、神官系の流れを組み、県庁職員であった祖父と、士族(維新前は武士。後に商家として成功)である祖母との間に生まれた、所謂お嬢様。
親類は皆、医者、画家、教師、そういう家系である。
〜幼少期〜
夜は遊び歩く父、愛情を注いでくれる母、大人になるまでは乱暴だった兄と生活する。
父は所謂イクメンなどではなく、酒、煙草、博打、女遊びで、ほとんど家には居なかった。
母は対象的に、無限に愛情を与えてくれた。それこそ、夜中こっそり泣きながらでも。
そんな父の浪費癖を補う為に、保育園の送迎と、レジ打ちのパート、家事を全てこなしていた。度々実家にも頭を下げながら、総額数百万円単位の借金を支払いながら。
兄はと言うと、その俺様加減は凄まじく、弟である自分を手下のように扱い、乱暴の限りを尽くしていた(笑)しかし、母は忙しい上に、おっとりした性格で、止められはせず、父は居ない。両親の事は深く愛していたが、
結局本当には僕を助けてはくれないんだ…と常に感じていた。思えばこの原体験が、根深く自分の中にあったのだと思う。
其れとは別にら俺は元来そういう性分で、父が煙草に火を着ければ灰皿を持ってたり、母の為に、家事の手伝いやおつかいなどを勧んで行っていた。
初めこそ其れで良かったのだろうが、子供とは思っているより聡く、そして狡猾である。
兄は乱暴なのに、大二郎は優しくて気が利く。
いつしかそんな言葉に味を占めて、真心の他にも、兄を吊し上げる為の行為、自分に愛情を向けさせる為の点数稼ぎ、そんな風にも歪んで行ったのだと思う。
それが鼻についたのか、いい子ぶりっ子しやがって…多分そんな感じ。
兄からの扱いは更に酷くなっていく。暴力や、尿を飲まされたり…。
結果として、人の顔色を伺いながら、本心はひた隠しにする、異様な子供が出来上がった。
僕を見て!僕を見て!僕を愛して!助けてよ!まだ足りないの?もっと頑張るから!
まだ足りないの?まだ…。
誰か僕を…。
言葉には出せない。殻の中の歪な子供が。
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