ケがない話
幼稚園年中の頃の話だ。私は毛がなかった。髪の毛が生えなかった。
髪は女の命というが、その理屈なら私は命がない女の子だった。
大人になると癌の治療だったり、加齢に伴い抜け毛がひどくなることを知るが、私は何が何だか分からないまま、毛がない子どもになった。
後に親から聞いた話によると、私の具合が悪くなり、医師から処方された薬を服薬した際、副作用で髪の毛が抜けてしまったらしい。
娘の髪の毛がなくなったことは家族にとって大きなショックで、私は途端にかわいそうで不憫な娘になった。
一方、その不憫らしい娘はというとその頃の感情の記憶はあまりないから、不幸には感じていなかったのだと思う。
私が覚えているのは定期的に祖母と遠くの病院に行き、待ち合わせ場所で待たされる時間が暇なことや帰り道に買ってもらうポカリが美味しかったこと。
幼稚園にカツラをかぶって登園し、みんなで逆上がりをする時間になり、友達や先生に誘われるまま逆上がりを得意気にして、終わった後に何故か奇妙な顔をみんながしていたこと。
カツラが逆上がりで落ちると初めて知ったこと。
家族が「運動させないように、って先生に伝えたのに配慮が足りない。」と、先生に対して怒っていたこと。
当時の私からしたら、逆上がりができたのに何故みんなが変な顔をしたのか、親が私の大好きな先生に何故怒っていたのか理解できなかった。
私だってみんなと逆上がりをしたかっただけだったのに、と思った。
なお、現在は逆上がりができなくなったため、逆上がりができた当時が非常に羨ましい。
私は毛がないことが普通で、周りの子と比較して悲しむこともなかったし、逆上がり事件の後に友達から冷たくされることもなかった。
私にとっては大した問題じゃなかった。
ただ、私が印象的なのは家族が私をかわいそうな目で見たこと。
特に母親が申し訳なさそうな目をしていたこと。
私は家族を、母親を悲しませる何かがある。
それは子ども心に強く感じて、とても悲しかった。家族を悲しませたくなかった。
家族が私に向ける「ごめんね。」や「薬に気をつけていれば。」や「女の子なのにかわいそう。」という言葉の意味を当時は理解していなかったけど
私は家族を悲しませる何かをどうにかしなきゃいけないとは思った。
毛がないことより大好きな家族が私のことで悲しむことの方が大問題だ。
だから通院は嫌がらずに行った。
「待ち時間が暇。」とか「疲れた。」なんて言っちゃいけないと思ったし、薬も治療も医者や家族の指示に従った。
祖母はよく「ひじきやワカメをたくさん食べると毛がはえるのよ。」と口癖のように言っていた。
私は少食だが、ひじきやワカメをたくさん食べれば家族が喜ぶと思い、積極的に幼稚園でおかわりした。
海藻類がよいと聞いたので、とにかく良いらしいものは食べた。
家族に喜んでもらいたかっただけなのだ。
私が海藻類を食べると家族は喜んだし、髪の毛が徐々に生えてくると家族は更に喜んだ。
それが私はとても嬉しかった。それだけは強く覚えている。
年長の頃には髪の毛が普通に伸びて、カツラはいらない生活になった。
通院生活も終わった。
家族が「よかったね、よかったね。」と笑う。
よかった。家族が喜んでくれた。
その影響があるのだろうが、私はそれから長い髪の毛が大好きでショートカットは一度もしたことがない。
親を安心させたい、心配させたくない、もう本当に大丈夫だからね、と長い髪で無意識にアピールしたいのかもしれない。
そして、あれからもひじきやワカメや海藻類は積極的に食べている。
強迫的な観念ではないが、やはりどこかで、家族を悲しませるあの日々に戻りたくないという表れかもしれない。
もしも年長や小学生に上がってから髪の毛が抜けてしまっていたら、また気持ちは違かっただろう。
毎日自分の長い髪を触っては、ささやかな幸せを感じている。