#エッセイ 犬
実家に戻り、保健所出身の犬と会うと、
尻尾をバタバタさせて大喜びしてくれる。
朝、会っても、コンビニいっても、あちらが散歩にいっても
会えば、喜んでくれる。
地球を救ったくらいのことをしていないと、つり合いが取れないほどの
喜びようだ。
犬がそういうもんなのか?
保健所生活の中で生きることの本質を知ったのか?
こちらが思っているほどは喜んでないのか?
答えはわからないけど、ありがたい。
同時に羨ましくもある。
誰かにあって、あれだけのリアクションを取ることはない。
逢えて嬉しいんだななんて、思わせたことないかもしれない。
なんなら、逢えて嬉しければ嬉しいほど、縮こまる。
なぜこんなにも違いが出るのだろうか?
まぁ、犬と人間だからだろう
犬と人間の違いはなんだろうか?
頭の良さとか、モロモロあるけども、娯楽の多さが気にかかる。
犬は、本も映画もゲームもしない。
犬の娯楽は、歩く、走る、追いかける、食べる、寝る など
生きるに近いというか、原点に近い物ばかり娯楽
もしかすると、逢うというのはこれら同じで娯楽なのかもしれない。
逢うは、1人(1犬)では出来ない相手あっての娯楽。
不定期でいつ来るかわからない娯楽。
それなら、あれだけ喜ぶのもわかる。
誰かに会うも原点に近い娯楽なのかな
逢えると思い込んでいるので、薄れているが
水はすぐ飲めると思い込んでいるのと、同じように価値を忘れているのか
寂しがり屋などは、
原点に近い娯楽を理解している人ともいえるのか
寂しがり屋は、生きるをしっかり味わっている人ともいえるのか?
犬に見習って、誰かに会うは、娯楽だと思い込んでみようかね
亡くなって会えなくなったら悲しいのだから
生きていて会えたことを喜んでみるのもよいかもね
書いていて、スッキリする
誰かと会うは、個と世界が繋がる娯楽なんだな
当たり前すぎてアレだけど、そういうものだから挨拶が大事なのか?
そういうことか
犬は自分に世界を感じているのかもしれない
自分が世界の1つ入り口 悪くない。
自分もアナタも、誰かの世界の入り口
せっかくだから、今後はその喜びを表現したいが
尻尾はないし、顔舐めていいわけじゃないし、
ギリギリイケて、お腹をさすってもらうだけど
こちらだけ楽しくて、させてる感じで申し訳ないし
逢った後に4、5ラリーくらい会話をするのがいいかな?
その後、お腹を出すかな
お腹を出すのが、愛情表現って、動物って頭いいね
俳句のように、簡潔に全てを表しているものね
犬に学ぶことは多い
そんな犬は、今、人形相手に腰を振っている
目はとても真剣だ。
犬だとしても、なんか気まずい。
学ぶことが多い。