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『恋するマリッジセンター』脚本ができるまで
『恋するマリッジセンター』の脚本の打ち明け話。
2024年2月13日から18日まで新宿スターフィールドで上演されておりました、恋するマリッジセンターの脚本がどうやって出来上がったかについて少しお話をさせていただきたいと思います。
○オファー
プロデューサーであり主演女優でもある四宮由佳さんからオファーがあったのは昨年2023年の秋でした。
数年前から何か手伝えることがあったらやりますとお伝えしていたので、四宮さんは声をかけてくれたんだろうと思います。
しかし僕も他の仕事との関係上、スケジュールがかなり厳しかったので、最初は脚本監修の立場でならお受けできると言う返事をしていました。
秋から冬になる間に諸々の事情があり、僕が自ら脚本を書くと言うことになってしまい、かなり焦りました。
なんといってもオリジナルの脚本をゼロから立ち上げると言うのは、ものすごいエネルギーと時間が必要だからです。
四宮さんからの要望は、『コメディで中年の三姉妹の話で、キャッツアイみたいなことをやりたい』というものでした。
中年のキャッアイって・・・・
内心、ちょっと唖然としていたのですが、プロデューサーの意見には反対するわけにはいきません。
そこはプロの脚本家としての腕を見せてやろうじゃないかという気持ちになりました。
コメディは自分も書きたい分野だし、中年の三姉妹というところに惹かれました。
昨今、若い人の芝居ばっかりやっていた気がしたからです。
12月に入って、キャスティングとかチラシとかを作らなければならないので、まずはタイトルと登場人物を送ってくれということになりました。
その時点で、僕にはぼんやりとしたアイディアしかありません。
キャッツアイの中年姉妹・・・・
泥棒を引退して、なんかやってたりするのかな。
何やってんだろう?
なんて感じです。
そこではたと気づきました。
俺、キャッツアイのこと、ほとんど知らない。
大ヒットしたアニメの主題歌はもちろん知ってるんですが、漫画もアニメもほとんど見たことがありませんでした。
長年脚本家なんて仕事をやっていて、アニメ業界にも深く関わっていたので、キャッツアイがヒットしていた同時期に、他の番組とかをやっていたせいで、競争相手の番組にはあまり目を向けないようにしていたからです。
困りました。
キャッツアイを知らずして、キャッツアイを書くなんてことはできません。
そこでずるい脚本家の僕は、方針を切り替えました。
『そうだ、あの漫画アニメのキャッツアイではなく、別のキャッツアイにしてしまおう。』
こずるい僕を許してください。
○アイディア
物語を作る時には、まずは漠然としたアイディアを探ります。
僕の身近で昨年、結婚相談所の紹介で二組、結婚が決まった人たちがいました。
結婚式でお会いした仲人さんのキャラクターが面白くて記憶に残っていました。
そうだ、『三姉妹で結婚相談所をやっているというのはどうだろう』
これが最初のアイディアです。
『結婚相談所を舞台にしたシチュエーションコメディができるんじゃないか』
これがアイディアを後押しする方向性です。
『結婚相談所には、いろんな悩みを抱えている人たちが出たり入ったりしちるに違いない。そこには悲喜交々のドラマがあるはず』
こんな見通しが出てきます。
ここまできたらしめたもの。
前進あるのみです。
もしも、結婚相談所をやっている三姉妹が、もとキャッツアイで、密かに義賊やっていたら。そしていろんな人たちの問題解決してやっていたら・・・・
などとアイディアから、コンセプトにしていきます。
アイディアを膨らませていくには、エンジンを動かす燃料を投下しなければなりません。
○人物を作る
燃料は、登場人物(キャラクター)たちです。
その中で最も大事なのは主人公です。
僕は主人公づくりに取り掛かります。
主人公づくりの方法に関しては、ここで語っていると時間が足りなくなってくるので、別の時に話したいと思います。
今回はプロデューサーでもあり、主演も務めることになる四宮さんが決まっているので、作家である僕には主人公のビジュアルを思い浮かべる必要がありませんでした。
彼女に合わせて主人公像を作っていけば良いわけです。
演劇の世界では、このことを『あて書き』と呼んでいます
僕は、あて書きの方がスムーズにいく場合が多いです。
アニメの脚本などを書く時も、キャラクターのイラストなどがある方が物語を創造しやすいです。
まずはこの主人公に名前と年齢を与えます。
今回の主人公の名前を考えていた時に、ふと自分の実の妹のことが頭に浮かびました。
妹は、昨年夫を癌で亡くし寡婦となったわけですが、ほとんど同時期になくなった僕の母親、つまり彼女にとっても母親ですが、その葬儀や後に残された父親の世話などを、悲しい顔も見せずに一生懸命やってくれています。
実家を離れて、東京で好きなことばかりをしている兄としては、実に頼りになる家族の一人です。
その妹の名前が小百合でした。
僕にとっては一番近しい人の名前でもあります。
そんな名前を自分が書く物語に使うのは、ちょっと気恥ずかしい気もしましたが、この名前を使うことで、僕がこの物語により感情移入できるのならと思って、主人公を小百合にすることに決めました。
苗字はあまり個性が強いものだと、それに引っ張られてしまうかもしれないと思って、日本で最も多い苗字の鈴木にすることにしました。
鈴木小百合。43歳。
僕は物語を作るとき、多くの場合、主人公を作るところから始めます。
主人公を作っていく過程で、その他の登場人物や、物語の内容までもが見えてくることがあるからです。
主人公の作り方は、またここで話し始めてしまうと、一時間位かかってしまうので、これはまた別に話したいと思います。
主人公ができたら、その主人公と関わる周りの人物たちを作っていきます。
この物語の場合、プロデューサーからの発注が三姉妹を中心にして作ってくれということでしたので、次はこの主人公の姉であるニ人の登場人物を作ることにしました。
二人の姉の名前は、ふわっと降ってきました。
なゆた、まゆき。
僕の無意識がつけた名前です。
無意識っていうのは、本人は気づかなくても何か意味を持っていることがあります。
なので僕は、自分の無意識をけっこう使っています。
無意識は信じられるんですよね。
なゆたっていう言葉を、後で調べたら、仏教用語で極めて大きな数字を表すとありました。
脚本の中で、彼女が結婚相談所の社長で経理などをやっているというセリフが出てきますが、数字を扱うということは、この名前とつながっていたんですね。
まゆきという名前には、どんな意味があったのか、またこれも後で調べてみたんですけど、日立市に金色姫伝説というのがあって、それに出てくる美しい姫が、繭姫(まゆき)でした。
脚本の中で、彼女が『わたしの黄金のボディ』というセリフを言うのですが、伝説でもこの姫さまは、金色だったのです。
無意識は、こういうつながりも見つけ出してくれたりするわけです。
ちなみに茨城県の昔話である、この金色姫物語はかなり興味深いです。
姫様が乗って浜に流れ着いた船が、虚船(うつろぶね)と言うのですが、これは明らかにUFOなんです。
宇宙からやってきたお姫様だったんですね。
話がそれてしまいました。
まゆきは、真雪という字を当ててもいいかもしれません。
意味は、まこと、本当、偽りでない真実、自然のまま、天性の、白いもの、清らか、などと言うのが出てきます。
まさにこの長女の性質を表している名前だと思いました。
無意識はキャラクターまで作ってくれていたのです。
メインの登場人物を作っていく過程で、他の必要な人物たちの輪郭も次第に見え始めます。
しかしそこにはまだ手をつけません。
あくまでも主人公から、ストーリーを紡いで行くのが王道なのです。
主人公に何が起きるのかと言うのが、ストーリーになっていきます。
○問題を起こすこと
何かが起きる。
と、一言で書いても、イメージが湧きづらいので、言葉を変えます。
問題が起きる。
トラブル発生です。
作家は、主人公をひどい目に合わせるのが仕事だと言っても過言ではないでしょう。
とにかく起きそうなひどいことを、片っ端から書いていきます。
選ぶのは後回し。
彼女に起きそうなトラブルのリストを作っていくのです。
その数々のトラブルリストの中から選ばれたものが、今回の芝居で小百合の身に起きることになったわけです。
もちろんこのリストの中には、使われなかったものも数多くあります。
でもこのトラブルリスト作りは、けっこう楽しい作業なんですよ。
主人公がどんなひどい目に遭うのかを、ニヤニヤしながら考えてるんですよね脚本家は。
かなりサディスティックな職業です。
ここまでくると、かなり物語の輪郭が見え始めてきます。
○プロットを書く
今回は、ここから一気にプロットを作りました。
プロットというのは、大きなお話の流れのことです。
これには他の登場人物とか、そのシーンで起きることなどを書き込みます。
あらすじよりも、長めのものです。
今回はA4の紙で4、5枚書いたと思います。
このプロットをプロデューサーに送って読んでもらいました。
そこでチラシ等を作る関係でタイトルを決めてくれと言われたので、『恋するマリッジセンター』とつけました。
まだ実際には脚本は完成していないので、ここからどう変わるかわからないのですが、雰囲気的にいろんな恋が生まれればいいなと言う思いも込めてこのタイトルにしました。
プロデューサーには12月中には初稿を書き上げると約束していたんですが、プライベートの用事などがいろいろ入ったりして、なかなか執筆に集中ができず、というか脚本作業に取り掛かれずにいて、ズルズルと12月が過ぎていきました。
嘘をついてしまいました。
プライベートの用事ではなく、12月のクリスマスまで僕が総合監修する舞台があり、それに忙殺されていたわけです。
他の芝居をやっているから脚本が書けないと言う言い訳はなかなかしづらいですよね。
その舞台が終わってから、この作品の脚本作業に集中することになりました。
しかし当初約束した締め切りは、とっくに過ぎており、稽古開始の初日が近づいてきていました。
○ひたすら書くのみ
こうなったら、もうやるしかありません。
年末も年始も締め切りが迫ったというか、締め切りが過ぎた脚本家にとっては関係ないのです。
今年は元旦に能登で大変なことが起きました。
被災された多くの人たちに、哀悼の気持ちを抱きつつ、僕は脚本の作業を続けました。
自分がやるべきことは、今目の前にあることでしかない。と自分に言い聞かせて。
しかし被災した人たちへの哀悼の気持ちは、やはり脚本の中にも滲んでいると思います。
自分が書いている物語の主人公も、悲惨な体験をした女性です。
この女性をなんとかハッピーにしたい。
物語の中だからこそ、彼女の人生をより輝くものにしてあげたい。
そんな気持ちが、ふつふつとわいてきたのでした。
冒頭にも書きましたが、僕は昨年、母を亡くしました。
病にかかり、四年ほど施設に入っていました。
コロナ禍のために、直接面会もすることができず、会いに行ってもガラス越しに電話で話をするだけ。
この理不尽さには怒る気力もありませんでした。
ただひたすらこの馬鹿馬鹿しい対応がなくなることを待ちました。
しかしそれが終わる前に母は逝ってしまいました。
もっと母と話がしたかった、もっと触れてあげたかった。
そんな僕の個人的な想いも、この脚本には投影されています。
愛する家族には、会えるうちに会いに行った方がいい。
大切な人とは、できるだけ話しておいた方がいい。
その人とはいつ会えなくなるかもしれないのだから。
会えなくなって、会いたいと思っても遅いんです。
脚本を書いているうちに、そんな想いが溢れてきました。
ネタバレになりますが、この物語の主人公である小百合は、重篤な病にかかり死を宣告されたことで、家族を悲しませないために、家族の前から姿を消した女性です。
それがこの物語の全ての起点になっています。
僕はこのアイディアを思いついた時には、自分の無意識が自分に何をさせようとしているのか、まだ気づいていませんでした。
でも物語を書いているうちに、僕は気づいてしまいました。
僕は身体が不自由になり、家族からも切り離されて、満足に話をすることもできないまま、亡くなってしまった母親に対して、何もしてあげられなかったという自責の想いをこの物語に込めようとしているのだと。
何もできなかった母に、せめて物語の中だけでも、ハッピーエンドを味合わせてあげたいんだと。
家族を取り戻して、抱き合って、幸せになって欲しかったのだと。
物語の中では、主人公の小百合は、可能性の少ない手術をして奇跡的に命を長らえたということになっています。
しかし本当は、彼女は手術の後に死んでしまったのかもしれません。
現実的に考えると、そうなる可能性の方が遥かに高いわけですから。
僕はせめて物語の中では、彼女を幸せにしたかったのだろうと思いました。
無意識は、母をもっと幸せにしてあげたかったのだろうと。
主人公は命をながられても、幸せだった時の記憶を失っています。
現実の僕の母も、四年間も施設に入っている間に、認知症が進んでいき、記憶がかなり曖昧になっていました。
過去のことは覚えているようなのですが、近くの記憶はほとんど残っていないらしいのです。
家族と切り離されている自分の状況が、認知症のおかげで多少は忘れることができたのではないかと思っています。
記憶を無くすということも、悪いことばかりではないと思いました。
この『恋するマリッジセンター』を書くことで、僕は母に贖罪し、僕自身を癒やそうとしていたのかもしれません。
○書き上げた後にすること
脚本家は初稿を一気かせいに書き上げた瞬間は、テンションマックス。
もう踊り出したい気分です。
飲みに行くぞ! と、飛び出して行きたくなりますが、ここで冷静にならなければなりません。
落ち着いて、読み直して、客観的に自分の書いたものを見つめなければなりません。
そう、客観的に自分の作品をもう一度見るのです。
ただし、この客観的になるということが、自分一人ではかなり難しいです。
ならば人の力を借りましょう。
他人に読んでもらうのです。
俳優さんに声に出して読んでもらうのはもっといいです。
そうすることで、客観的になることができます。
今回の僕は、新年の挨拶に来てくれた俳優さん二人に、セリフを読んでもらいました。
その時点で、足りないと思えるところが見えてきたので、さっそく『直し』の作業に取り掛かりました。
稽古が始まれば、本役の人たちに読んでもらう事ができるので、それを通してまた『直し』をしていきました。
脚本家の作業としては、書くこと、直すこと、この両方が大事です。
何度も何度も直していきます。
上演が終わっても、脚本に直したいところがあったら、また直しましょう。
再演もあるかもしれませんから
○ここまで読んでくださった皆さん、そして上演に携わってくださった、キャスト、スタッフの皆様、本当にありがとうございました。