愛したことを思い出す人生
愛してくれる人がいるよりも、僕はやっぱり愛したい人がいると頑張れる。愛したことを思い出す人生でありたいです。
愛する人がいると、頑張れる。
最近そう実感しています。
人は自分のために生きる生き物です。どこまでいっても自分のために、自分を守るために行動します。
そういう本能のもとにできあがっています。
人を愛すという行為も同様です。
人を愛すことで、精神的な欲求を満たすことになる。
承認欲求や性的欲求も満たせる。
だから人は、だれかを愛すんです。
愛することで意味がつく
愛する人のために頑張る。
これは正しくないこともないけど、間違っているのだと思います。
正確には「愛する人がいるから、頑張れる」
だれかのためにと思ってやっていることでも、結局は自分のためなのです。
だから頑張って与えた結果、求めていた反応と違ったら裏切られたと感じてしまうのです。
本当に与えたいだけ、愛する人のためだけならば、反応がどうであれなんだって構わないはず。
だから認めてしまえばいい。
自分のためであって、それでも相手を思っているということを。
愛することで意味がついたということを。
愛することは自分を動かす原動力になります。
それが結果的に相手のためになったらそれ以上は何も望まない。
誰かを愛すということは、自分の人生に意味がつくということです。
「人は死ぬとき、愛されたことを思い出すヒトと、愛したことを思い出すヒトにわかれる。私はきっと愛したことを思い出す。」
辻仁成さんの「サヨナライツカ」の小説の中にある詩です。
僕のもっとも好きな言葉。
僕はきっと愛したことを思い出す。そんな人生であろうと思います。
あとんす!きっとうまくいく