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木場んち

俺が6年前から住んでいる芸人シェアハウスは「木場んち」と呼ばれている。
築年数も60年じゃきかないだろうというような線路沿いボロボロの一軒家だ。
家自体も若干傾いている。最近じゃ傾きが酷くなってきたのか窓とかも開けづらくなってきている。
壁床の断熱材もあるんだかないんだか分かんない状態で冬場は野外くらい寒い。
そのくせ日当たりだけはやたらめったらといいせいで夏は灼熱の暑さをお見舞いされる始末だ。
それ相応に古びた外観も周囲の家と比べると明らかに異彩を放っており、ウチを見た外国人観光客が半笑いで写真に収めたりしていた。
ちょっとした怪現象が何度か起きたので霊能力のある人に家を見てもらったら
「女の人が二人います」
とまで言われた。

なんでこの家にはあるべきものが無くて、いなくていいものがいるんだ。

そんな不満もどこにぶつけることもできないので6年ほど自分の中にしまっている。

常人ならとっくの昔に引っ越すどころか、そもそも入居しようとすら思わないだろうなというTHE END家
そんな家に俺は3度の更新を経て6年住み、この春7年目を迎えた。
ちっちゃい野生動物なら死んでる年数だ。

俺はこの6年間を特に外に発信することもなく過ごしてきたが、折角noteのアカウントも作ったので思い出せる範囲と載せてもいい写真で振り返っていきたい。


6年前この家に住み始めた当初のメンバーは四人いたが、俺以外の他三人が全員入れ替わって初期メンバーは遂に俺だけになった。
木場んちの絶滅危惧種なのか、ただ単にくたばり損なってるだけなのかは俺にも分からない。
でもあんまり褒められたものじゃないとは思う。



そもそも何故シェアハウスを始めることになったかという話だか、7年ほど前俺は埼玉県の朝霞に一人暮らしをしていて月20~30あるライブのためにセコセコとコント道具を持ってホームグラウンド新宿に通っていた。
この交通費がなかなかの出費で、「ライブの数はあるが収入がほぼないしバイトもろくにできない程度の忙しさ」な俺の財布になかなかの打撃を与えていた。

おまけに当時住んでいた部屋は上に四六時中ドラクエを大音量でプレイし時折「ミョー!!!!!」という奇声を発する住人が住んでおり、隣にはよさこいのメンバー募集の看板を自作し勝手に敷地内に立てたことを管理人に怒られていた女装癖のあるおじさんが住んでいた。

朱に交われば赤くなる。
こんな最悪アベンジャーズアパートに住んでいたら俺もこうなるという危機感と金銭面の問題から都内へ脱出する決意が固まっていった。

そんな中俺の前に現れたのがこの男だ。



初期メンバー1.まんじゅう大帝国田中くん


まんじゅう大帝国は当時ライブでよく会う間柄で、お互い野球好きなこともあって割とすぐに打ち解けた。
特に田中くんとは何故か馬が合い、いつの間にやら当時田中くんの住んでいた部屋でダラダラと酒を飲んで喋り続けるような日々を送るようになっていた。

そんなある日、田中くんが住んでいたアパートの取り壊しが決まり引っ越しを余儀なくされたタイミングで
「こんなに毎日飲むんだったら一緒に住んだ方がいいんじゃないか?」
というアイデアで二人でシェアハウスを始めることになった。
これが木場んちの原型である。


至極単純かつ若いノリで始まろうとしていたシェアハウスだが、意外と二人とも冷静な部分も持ち合わせており
「二人で住んでもし揉めたりしたら嫌だから仲裁できるようにもう一人いれよう」
という意見になりあと一人一緒に住んでくれる人を探すことになった。


このあと一人というのが紆余曲折あったのだが、最初は当時結構な割合でライブで会っていたマカロンの前嶋さんを誘った。
前嶋さんは
「丁度引っ越し考えてたし楽しそうだからオッケー!」
って感じですんなり決まるかに思えたが、現在の奥さんとの同棲を始めることになってしまい白紙に。

その後シェアハウスであと一人探してるという噂を聞き付けたゾフィーのサイトウさんが
「コントの小道具を置く倉庫が欲しかったのよ!あと来年息子が進学で上京するかもだからそこに住まわせてやってくれ!家賃は払うから!
という提案を持ち掛けてきて、前嶋さんのキャンセルで焦っていた俺達はありがたく快諾したがそれも何らかの理由でなくなってしまった。

サイトウさんの息子は自分が
「右も左も分からない東京に出てきて素性の知れない低収入男達とシェアハウス」
という強制イベント
に巻き込まれそうだったことはよもや知るまい。


こうして諦めて二人で住もうかと思っていた時、新宿バティオスであったK-PROライブの帰りに当時ちょくちょくライブで会うようになっていたこの男と打ち上げをやることになった。



初期メンバー2.かが屋賀屋さん


かが屋とは1ヶ月前くらいにあったライブで知り合い、そのライブの打ち上げでたぶん人見知りなんだろうなぁという感じ丸出しの賀屋さんが一生懸命俺に話しかけてきた事で友達になった。
その1ヶ月前のライブでかが屋を初めて見たのだが、「電車の中でなぞなぞを友達に出したが友達が先に降りちゃって、宙ぶらりんになったなぞなぞの答えを周りの乗客が考え始める」みたいなコントをやっていてあまりの面白さに俺は衝撃を受けたばっかりだった。

そんな賀屋さんとまた飲んでみたいなぁと思いライブ後打ち上げに誘ってみると来てくれるとのこと。
今にして思えば賀屋さんは酒が飲めないし人見知りだったのによく来てくれたものだと思う。

とりいちずという居酒屋で6人くらいで飲んで、その中に田中くんもいたので
「今度シェアハウス始めようとしてるんだけど一人足りないんだよね。賀屋さん入らない?」
と賀屋さんに軽口同然の誘いを投げた。
その時賀屋さんは「いいなぁ…」とだけ返してきたのだが、翌日

「昨日はありがとう
あの後ちょっと考えて
シェアハウスの件なんだけど、
一緒に住みたいと思うんだけどどうかな?」

とLINEがきた。
今賀屋さんとのLINEの履歴を遡ったら楽屋でお互いのLINEを交換して翌日の送信だった。
出会って1ヶ月、連絡先交換から1日で一緒に住むことが決定するまでいったのだから相当なスピードで距離が縮まってた。
今思うと結構キモい事が起きてた

というわけで俺、田中くん、賀屋さんの三人でシェアハウスを始めることとなった。



賀屋さんが決定したのが1月30日頃で、俺と田中くんは3月31日には家を出ないといけない状況。
そこから家を
「一人一部屋ある」
くらいのゆるい条件で探し始めたのだが男3人のシェアハウスはなかなか審査が通らず苦戦を強いられた。
おそらく「芸人の三人暮らしは騒音とかすごそう」「こんな低収入で家賃払っていけるの?」的な事で審査がおりなかったんだと思う。
しかし家を出なければいけないことは決定していたのでどうにか住みかを探さないといけない。


ある日不動産屋を三人で訪ね物件を探していると
「ここなら絶対に審査通ります!」
と紹介されたのが築何年かも分からない5Kの一軒家だった。
まず俺達はこの怪しさ満点の物件をいぶかしんだ。

審査が絶対に通る??なんで??」
築年数不明??不動産という仕事ができる前から建ってたってこと??」
「5Kって間取り聞いたことないぞ。牢屋?

突っ込みどころは満載どころか軽く積載オーバーしていたが、一人一部屋という条件と立地の良さと家賃の安さから
「たぶんこれ以上条件を満たす物件はないだろう」
という判断で契約をすることになった。

「じゃあ契約ということで進めていきますね~」
急にトントン拍子に話が進みだして三人とも内心ほっとしていた。


しかしここで一つ問題が発生した。

この物件、家賃の事を考えると三人で割るには希望より少し高く、三人で住むなら一部屋余るのだ。

今思えば
「とりあえず契約して後で一人探す」
という事で人数的問題を後回しにすればよかったのだが、家がなくなるという焦りと急に現れて懐に入り込んだきた怪しさ満点ハウスに冷静さを失っていた俺達三人は、その契約最中の不動産屋のカウンターで四人目を探し始めた。


田中「今から急に住もうつって住んでくれる人なんている?」
賀屋「いやぁ…どうじゃろうか…」
木場「おっ…俺が契約書書いて時間稼いでる間に早く!」

あの時の俺達は本当に冷静じゃなかったと思う。
(この前賀屋さんと会ってこの時の話をしたら「若さとシェアハウスを始めるという高揚感で調子に乗っとったんじゃろうなぁ…」と語っていた。)

賀屋「あっ!細田さんならどうだろ!」


初期メンバー3.ひつじねいり細田さん


当時バーニーズとしてライブでよく会っていた細田さん。
2.3こ上の先輩で、クールな切れ者という印象の人だった。
なぜか芸名を本名から「細田官房長官」に改名しており、意味こそ分からないが陽気な人だとも思っていた。
当時はライブで会う時にしゃべるくらいで遊んだこともなければ深く会話をしたこともなかった間柄。

しかし三人の焦りからこのシェアハウスは今にも転覆しそうな状況。
そんな俺達には細田さんが荒波の中に差す一筋の光に見えた。


賀屋さんがとりあえず一旦細田さんに電話するわと電話をかけ始めて3秒ほどで細田さんは出た。

賀屋「細田さんお疲れ様です~。今時間いいですか?ありがとうございます。ちょっといきなりなんですけど一緒にシェアハウスしませんか?…まぁそうですよね、いきなりですよね。」

こんないきなりかかってきて今の家から引っ越しませんか?という勧誘の電話がこの世にあっていい訳がないと思った。

賀屋「メンバーはまんじゅう大帝国の田中君と卯月の木場君です。…はい四人暮らしで。…今不動産屋にいるんですけど、契約書書いてる最中です。

そんなゴールテープ寸前で
「一緒にゴールしません??」
と電話かけてくるやつがいるなんて細田さんは夢にも思わなかったろう。

賀屋「わかりました。じゃあまた後で!すみません~。」
田中「なんて言ってた?」 
賀屋「30分考えさせてだって。」

!?!?!?!?!?


こんないきなり後輩から電話がきて一緒に住むという選択肢が細田さんの中であるのか!?
住む場所を変えるという事を30分だけで悩んで結論が出るのか!?

なんかちょっと問題解決しそうかもという安心感と、細田さんの豪快さに思わず三人で笑ってしまっていた。

細田さんからの折り返しは30分どころか10分もせずにきた。

細田「俺一緒に住むわ」

なんて男だ。
問題の大きさに対する判断の速さが本物の官房長官を超えちゃってるじゃないか。
俺は本気で「この人は官房長官なんかで収まっていい人材じゃない!」とさえ思った。

後で聞いたら実は細田さんはこの半年前に引っ越したばっかりだったらしい。
正直普通に考えたらそこからさらに引っ越すわけないのだが、この電話の前日に偶然パチンコで20万円勝ったらしく「この電話は何かのお告げだ」と思ってシェアハウス入りを決意したとのこと。
逆グリーンウェルだ。

なにはともあれシェアハウスの初期メンバーが揃った瞬間だった。


諸々の手続きも終わって不動産屋の言う通り審査も何故か楽々通り、もう住むしかないという状態で後日田中くんと二人で家の内見に行った。

何故内見がそんなに後になったかというと、もう何かしら不満があろうがどっちにしろ住むしかないからどうでもよかったというのがある。

賀屋さんと細田さんはライブだか仕事で来れず、田中くんと二人でその家の管理をやってる下町のちっちゃな不動産屋を訪ねた。

「あぁ!今度住む子達だろ!家こっち!」
と70歳くらいのニコニコした人の良さそうなおじいちゃんに連れられ家の内見を始めた。

入ってすぐに異常に気づいた。


傾いてる…!?



俺も田中くんも口には出せなかったが目配せだけでお互いの言わんとすることはわかった。


木場「(傾いてるよね?)」
田中「(傾いてると思う。)」

「キッチンはこっちで、トイレはここ。で2階はこの階段からあがるの。」

そんなアイコンタクトを交わしまくってる俺達を尻目に、おじいちゃん管理人は俺達を2階に案内した。
誘われるまま2階にあがると更に傾きは顕著になった。

木場「(絶対に傾いてる!)」 
田中「(なんだこれ気持ち悪っ!!)」

こんなん松坂大輔じゃなくても自信が確信に変わるわってくらい傾いてる

さすがにちょっと触れとくかと思って恐る恐る俺はおじいちゃんに聞いてみた。

「あのー、これ傾いて…ますかね?」

俺なりに丁寧に言葉を選んだつもりだったがこれが精一杯だった。
それを聞いたおじいちゃんは振り返って

「当たり前だろ!安いんだから!」


満面の笑みで返してきた。
その変に隠さない姿勢と威勢の良さに俺は清々しさと頼もしさすら感じていた。

家を出てすぐに田中くんと二人で賀屋さんに電話した。

木場「賀屋さん!家傾いてた!」
賀屋「傾く?家が??」
田中「マジで傾いてたよ!」
賀屋「???」

こうして俺達は色んな偶然の重なりによって木場、田中、賀屋、細田の四人でシェアハウスを始めることとなった。


しかし偶然だったのはこれだけではなかった。




不動産屋から「絶対に審査が通る家」として紹介された物件。
何故絶対に審査が通るのか後で判明した。

四人で住み始めてしばらくした時、田中くんの事務所の先輩であるウエストランドの太さんがライブ後家に遊びに来ることになった。

田中くんと太さんが最寄りの駅を降りて田中くんの道案内で家に向かう最中、

田中「で、ここ真っ直ぐです。」
太さん「……この次右だったりせんか?」
田中「え?そうですよ?着きましたここです。」
太さん「………俺この家知っとる。
田中「えぇっ!?」


実はこの家の前の住人というのが、俺らと同じ芸人の四人暮らしだったのだ。

その前の住人の一人と仲の良かった太さんは度々この家に飲みに来ていたとのこと。
田中くんが道案内をしている最中太さんは
「懐かしいなぁ。前この辺飲みに来とったなぁ。」
と思っていたが、段々とその家が近づいてきて尚且つ田中くんがその家へ案内をし始めたのでめちゃくちゃ怖くなったらしい


大家さんが隣に住む80歳近いおばあちゃんなのだが、前の住人の芸人四人が綺麗に家を使ってくれるし挨拶もしっかりするし家賃も遅れたことがなかったので芸人のシェアハウスには全く抵抗がなかったらしい。

本当にありがたい限りだった…。

こうして奇跡にも近い偶然が重なりに重なって俺は今の家に住んでいる。

さて、前置きはだいぶ長くなったが俺はこうして始まったシェアハウスで6年間に起きた出来事を振り返ってnoteに残していきたい。

それはもうシェアハウスを出るとかではなく、シンプルに思い出せなくなってくることもあるだろうから、思い出せるうちに振り返っておこうということだ。

今後は不定期で思い出した事を時系列はバラバラになるが書いていこうと思うので良ければお付き合い下さいませ。

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