自分を整えるルーティン〜祈りとは心の所作〜
お盆なのでお墓参りや御先祖様に思いを馳せる機会がある方も多いと思います。
私は幼少期から「祈る」ということがルーティンになっています。
特定の宗教や宗派に属している訳ではなく、ご先祖様や八百万の神様という自分の中にある大切な感覚に対して祈っていたような気がします。
出生の仕方にも関係があるかもしれません。
自宅にいても宿泊先にいても海外にいても変わらない所作です。
歯を磨いて顔を洗うのと同様に、自然にやっています。
「明日の自分に祈る」
寝る前
「私は全てのことに感謝し、明るく積極的な人間になります。」
目が覚めた時
「私は全てのことに感謝し、明るく積極的な人間になりました。」
この文言を唱えることを14歳から行っているのでかれこれ25年行っています。
四半世紀もやっているのかと思うと不思議な感覚ですが、呼吸を生まれてからずっと行っているような無意識で唱えています。
確か中学二年生の時に中村天風さんの本が図書館にあって呼吸法の解説などあったのですが、難しいことはいいからまずはこれだけやったらいいみたいなことが書いてあったと思います。
これなら自分にもできそうだからやってみようと始めて気付くと25年です。
唱えている言葉通りになっているかはわかりませんが、自然体でそうありたいと思います。
やっていなかったら今とは違う自分になっていたと思うので私にとってはやっててよかった文言ルーティンです。
余談ですが、父や叔母は中村天風さんの市民講座が近所で開催されていたらしく小学校の時に中村天風さんから直接指導を受けていたそうです。
とても羨ましい!
「御先祖様に祈る」
これも小さい頃から行っているのですが、明確に意識しはじめたのは実は今年に入ってからです。
経営実践研究会のアドバイザーでもある天明先生と小山先生が講師を務められた立命塾に参加し家系図を作成していったことを機に、自分よりも三世代前の曾祖父母8人、その子どもである祖父母4人、その子どもである自分の両親、そして自分と名前を唱えながら、命の連鎖に感謝しています。
曽祖父母より以前のご先祖様は名前が追えなかったため、曽祖父母から私に至るまでを順を追って祈ります。
ご先祖への感謝と自分に至った時にカチっとおへそあたりがあたたかくなるのをいつも感じます。
連続生命観の観点から今の自分に至るまでにご先祖様が紡いでくださった命があるということ、その最先端にいる自分の役割を全うしようという気持ちになります。
一人じゃないんだという感覚です。
「八百万の神に祈る」
出社すると会社に祀ってある神棚に祈ります。
これは会社を設立してからなので、7年目に入りました。
私はなかなかの不器用なので水やお米をこぼすこともあるのですが、
開運吉祥
和楽繁栄
健康長寿
養生平安
と共に世界の平和と自身の役目を果たして世の中の役に立てるよう後押し、感謝について祈りを捧げます。
「自分への祈り」「ご先祖様への祈り」「八百万の神への祈り」この3つを行うと自分が整うようです。
祈りとは心の所作
「祈りとは心の所作」
これはHUNTER×HUNTERのネテロのセリフです。
蟻の王メルエムとの戦いの中で片腕を失っても祈りの姿勢に入り、百式観音の零を繰り出します。
「心が正しく形を成せば想いとなり、想いこそが実を結ぶのだ」
祈るという行為は慈しみだったり、感謝だったり心を平和な状態を整えてくれるものだと歳を重ねるごとに思いが深まります。
人それぞれ無数の自分の整え方があり、自分と人を大切にするために1日の中でそんな時間を少しでも組み込めるとそれぞれの心が平和な状態になるんだと思います。
今後ますますwell-beingが大切にされるであろう中で自分を整えるルーティンは価値を発揮しそうです^_^