まっちゃんのお話 第4〜7話
▼まっちゃんのお話 ひとつ前のお話▼
●まっちゃんのお話 第4話
そんなある日、知り合いの別の団体の人から連絡がありました。
少し僕の記憶が曖昧なところもありますが、たしか、通行人が道端で糞尿にまみれた状態でホームレス状態の人が倒れてるとその支援団体に連絡が来たらしい。
その人が行ってみるとまっちゃんが僕の名前を言っていたようで、僕に連絡をくれました。
すぐに現場(いつもいる場所)に駆けつけると、まっちゃんがいました。
お酒が抜けているのか、本当にしんどいのか、いつもより非常にコミュニケーションがしやすかった。
病院に行こうと今回も伝えるが、やっぱり難色を示しました。
いつも以上に体調が悪そうに見えたので、改めて、まっちゃんの目をみながら、「心配していること」を伝え、病院に行って欲しいと改めて伝えると、受け入れてくれました。
やっと通院できることに。
役所から利用登録の申し込みがあってから、1ヶ月が経過していました。
●まっちゃんのお話 第5話
善は急げ(これ大切)と言うことで、
まっちゃんが通院を決意してくれた翌日に26号線沿いの浪速区の病院に行くことに。
まっちゃんは約束の時間に約束の場所に来てくれていました。
雨が降っていた記憶があります。
まっちゃんは歩くのも大変な状態でした。
「足が痛い」と話します。
原因はわかりません。
今回の通院は、まずは頭にあるピンポン球くらいのコブ(腫瘍)の検査です。
病院に行っていろいろと医師から質問されても、「大丈夫です」としか答えません。
これはまっちゃんに限らず、野宿状態の人と病院に行ったらよくあることです。
自分の体調不良をあまり人に話しません。
結果的に、頭の腫瘍は脂肪か何かで放置していても問題がないことがわかりました。
その点に関しては一安心ですが、どう考えても「健康」ではない状態なので、
この貴重な、やっと来れた通院が空振ってしまったことに複雑な気持ちになりました。
ここから、様々なことがようやく動き始めます。
●まっちゃんのお話 第6話
まっちゃんが暮らしているアパートは、やや貧困ビジネス側の家主でした。
地域の人が個人で経営しているアパートです。
完全な悪徳業者ではないものの、怪しい部分もいくつかありました。
その中でも看過できなかったのが、「通帳を全て預けている」ことでした。
通帳、カード、暗証番号全てを家主に預けています。
そして、家賃などは大家が勝手に引き出します。
また、お小遣い(生活費)は少額を定期的に家主がまっちゃんに渡します。
この会計があまりにも不透明でした。
毎月の保護費を使い切るほどの支出はまっちゃんの生活を見ている限りでは考えにくいと感じていました。
なのに、毎月きれいになくなっていました。
役所のCW(ケースワーカー)も、本人に家主に預けているのは危険であることを伝えるも、
「あの人にはお世話になったから」と、家主に任せっきりにしていました。
全部が全部ではありませんが、
「あの人にお世話になったから」と思わせて、
とことんに搾取して貪りつく業者と当事者の関係性はよくある話です。
通院に行けたあたりから、まっちゃんと僕との信頼関係が高まってきたこともあり、
家主が持っている通帳をまっちゃんもしくはこちら側に渡してもらえるようにすることにしました。
●まっちゃんのお話 第7話
まっちゃんは沖縄の人でした。
沖縄時代の話を聞きたかったのですが、その頃の話はなぜかあまりしてくれませんでした。
釜ヶ崎には沖縄から来る人がとても多く、まっちゃんもその一人でした。
まっちゃんに通帳を家主から返してもらわないかと提案しました。
そしたら、「ええよ」と即答で了承してくれました。
以前は「世話になった」と言って拒んでいたのですが、すんなりと話が進みました。
関係性ができてきたからだと思います。
家主の連絡先を教えてもらい、僕が直談判してきました。
60年くらい前に夫と一緒に釜ヶ崎にやってきた家主さん。
その人の話も面白かったのですが、まぁそれはまた別の機会で。
行政の後押しと、
釜共闘時代からカマを知っている人でうちの団体と理事長のことを古くから知っていたこともあり、
すんなりと通帳を渡してくれました。
通帳をまっちゃんの元に届けると、
「小林さんが預かっといてくれ」となり、来所してもらい金銭管理に関する書類を作成いたしました。
初めてまっちゃんが事業所の中に入ってくれました。
(続く)
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