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自信と受容
既に亡くなった祖父は、
「出来ると思ったら出来る。出来ひんと思ったら出来ひん」。
と、よく口癖のように言っていたのだが、まだ幼かった自分としては、何を当たり前のことを言ってるんだろう?と思っていた。
でも、歳を重ねる毎に、その意味の深さを思い知ることとなった。
やる前から出来ないと思っていたとしたら、出来ないのは当然で、少なからず、誰がなんと言おうが、自分だけでも出来ると信じ切る必要があり、その思いが実現への道を拓くということだろう。
今でも気弱になった時、いや、自分には出来る、と言い聞かせることは、無意味ではないと思っている。
自分を信じる=自信。
でも、いくら信じたところで、出来ないこともある。
以下の、ラインホールド・ニーバー(自由主義神学者・社会倫理学者)の言葉は、よく履き違えてしまうことに対して、見事に整理している。
神よ。
変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、それを受け入れるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、識別する知恵を与えたまえ。
往々にして人とは、変えられるものを変ようとせず、変えられないものを変えようとして、混乱に陥いることが少なくない。
変えることの出来るものと、変えることの出来ないものとを、識別する知恵が必要なんだろう。
諸行無常である以上、いくら出来ると思っても出来やしないこともあるので、祖父の言とは相反するが、それは少し次元が違う話だと思う。
癖、例えば脳は、過去に基づいて出来ない理由を並べ立てるもののようなので、都度それに気付いて、逆の癖付けをしていくことが自身を変えることになり、その先に、「出来ると思ったら出来る」ということへと繋がっていく、と思っている。
自信と受容とのバランス。
それこそ出来る。