
トマトが教えてくれたこと
この度出版した本の初稿を書き上げた段階で、父に読ませてみたのだけど、冒頭部分に目を通した最初の感想は、「中学の時にオーストラリアに行ったことも、高校の時のホームステイ(米・ワシントン州)のことも書いてないやないか」というものだった。
何故書かなかったのか…。
さして伝えたいことがなかったから、な気がする。
オーストラリアは、シドニーに1週間行かせてもらったのだけれど、内6日間は雨で、建国から100年も経っていないのに、200年に1度の大雨と報じられていて、なんだそれ、と思ったくらいかなぁ。
ホームステイについては、それなりに得たものは少なくなかったけれど、高校時代に皆味わうであろう甘酸っぱさと、ゲイバレすることの恐怖に主眼を置きたかったので、分散を避けるために敢えて触れずにおいた。
子供の頃、トマトが嫌いだった。
今でこそ、余り水を与えず栽培することが常識となり、また、いろんな品種のもので溢れているけれど、当時は、水膨れしたように白っぽくて、種周りが薄緑色でドロっとしていて、青臭いだけで味のないものだったのだ。
ホームステイ期間中、毎朝のように出されるトマトを、嫌いだからと言うことが面倒臭くって食べてみたら、今まで食べいてたトマトって何だったんだろうと思う程に美味しくて、また、時に焼かれて供されるトマトなんて食べたことがなく、しかも更に美味しくて、その時、トマトが嫌いだったんじゃなくて、美味しいトマトを食べたことがなかっただけだったんだと気付いた。
余談ながら、その後、以下の『フライド・グリーン・トマト』という映画で、その味わいをより深く知った。
そのことを切っ掛けに、まだ知らないだけで自分の好きにピタリと合致する音楽はないものかと、勝手に入ってくる情報の外側へと視野を拡げた時に見付けたのが、『フリッパーズ・ギター』と『ピチカート・ファイヴ』だった。そして、彼らのサンプリングの元ネタ探しを入口にして、いろんな音楽の波を潜った先、時を経てJ.S.バッハに行き着き、今は、葉擦れの音や小鳥の囀りや虫の声や、音なき星々の瞬きを聴いている。
物事は、突き詰めれば突き詰める程に、わかり合える人というのが少なくなっていくものなんだろう。
だからといって、受け身ではいたくない。
わかってくれる人だけにわかってもらえればいい、と思うのと、わかる人にしかわからない、というのは、全く意味が違うと思っている。
所詮は、わかる人にしかわからない、けれども、実はわかり合えるのに、まだ出逢っていないだけ、という人もいるはずなので、そこにリーチしようとする取り組みは、なんら下品な行為でも、承認欲求でもなく、自己実現なんだろうと思っている。
野に遺賢あり。
そういう人と巡り逢えることを、仕合わせと呼ぶんだろう。