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スピリチュアルとスピリチュアリティー
世にスピリチュアルなるものが溢れ返っていて、それは何も否定されるべきものではないが、違和感を覚えることが少なくない。
なので、ほぼ同義ではあるけれど、もう少し本質的な、科学的にも解明されている/されつつあるものを、スピリチュアリティーと呼ぶことにする。
例えば、ポジティブシンキングやの、引き寄せの法則やの、それらに問題があると言う気はないのだが、但し、ポジティブシンキングを意識するということは、基本、ネガティブだから、ということな訳で、同様に、引き寄せたいと願う時点で、引き寄せられないと信じているから、ということだと思うのだけれど、どうなんでしょうか。
ネガティブな自分をも受け容れることが、真のポジティブなんじゃなくて?
また、結果、引き寄せられればいいだけのことで、そのためには、願うのではなく、行動することが重要に思っている。
キリスト教の笑い話に、以下のものがある。
干ばつが続いているため、人々が教会に集まって、雨乞いの祈りをすることになった。しかし、集まった人たちを見て、牧師は言った。
「皆さんは、神が本当に雨を降らせて下さると信じていない。なぜなら、傘を持ってきた人は誰1人いないではないですか」。
個人的には、この話を単なる笑い話と済ますには、示唆するところが大き過ぎると感じている。
仮に定義するとしたら、
スピリチュアル=願う=頭で考える=過去。
スピリチュアリティー=行動=肚に従う=未来。
という感じだろうか。
したいと言いながらも、出来ない理由を並べ立てる人、具体的には、気になる人がいる、けれど、その人に恋人がいるかもしれない、でも、それを確かめる勇気がない、けど、気になる、みたいな、どっちやねんって言いたくなるパターン。
こういう人にとっての時間は、過去から未来へと流れているんだろうと思っている。所謂、時計時間が実在していると無意識で捉えている。
逆に、どんどん好きを実現させていく人というのは、先ず、したいとは言わないどころか、言う前にやっている。
こういう人たちにとっての時間とは、未来から過去へと流れていて、時計は相対性を共通させるための基準となる装置、くらいにしか捉えていないんだろう。
ちなみに、アインシュタインの言葉を引用すると、「ストーブの上に1分間座ってる間、すごく長く感じるでしょう?逆に好きな子と過ごす1分間はあっという間でしょう?それが相対性です」ということらしい。
要は、体感時間が、生きた時間であるということだろう。
嫌なことを愚痴りながら生きてる人と、好きなことを楽しんで生きてる人とでは、老け方が違う理由がここにある、と思っている。
となれば、アンチエイジングなんて、一銭も必要とせずに、成り立つことになる。
不安から逃れるために、スピリチュアルなことに飛び付くのではなく、不安を味わい尽くすことが、スピリチュアリティーなんじゃなかろうか。
そもそも、不安は今起こっているのではなくて、未来に起こり得る可能性の1つでしかない。そんなことに焦点当てずに、今やれることに集中すれば、不安を感じる暇なんてないはずでね。
一応言っておくと、まだ起こってもいない不安を抱えているから、不安な現実を引き寄せる。そういう意味では、引き寄せの法則は正しい。
ではなくて、雨が降って欲しいのなら、傘を持って出掛けるくらいの勢いで、未来を今に引き寄せることを、本来的な引き寄せの法則の使い方だろう。
使われるのではなく、使いこなすこと。
それは、法則もさることながら、脳を。
脳はどこまでいっても、過去の記憶の集積でしかないのだから、未来予測なんかしたところで、カオス理論なんてものも発見された現在、無駄でしかない。
ではなくて、脳は使うもの。
さて、そうなれば、脳に使われていたのは誰なのか?脳を使うのは誰なのか?という問題に直面する。
答えは?
考えるな。
すぐやれ。