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死にたかったんだ、本当は 6 (全8回)

ペーちゃんは、冷静で明晰で、僕の友人の中で、一番頭の良い人だと思っていて、何度か仕事を回してもらったりしたこともあって、若かりし頃、僕はペーちゃんに片想いしてた時期があったんだ。
とにかく、死ぬことは伏せて、自己破産すること、そうなれば、ペーちゃんからの二百万円も債権放棄してもらうことになってしまうということは、自分の口で伝えなきゃならない。でも個人の場合、債権放棄はしていても、自己破産に対する免責決定が出た後でなら、返済してもいいらしいので、僕の死亡保険と、僕が生涯かけて集めてきたマイベストな器全部を譲り受けてもらおう。そのことは遺書とは別に遺言書として弁護士さんに委ねておこう。
それで許してもらえるとは思わないけど、許してもらえなくても、その時には僕は死んいでるんだから、その結果は預かり知らぬことになるのだけれど。
死ぬ前に思い出せて良かった。
不義理には変わりはないけれど、僕の口から事情と誠意を込めた謝罪だけはしておきたい、これが僕の最後の欲だ。

久しぶりに酔い歌ったことで、なんだか気分が明転したのか、スルスルと筆が進んだんだけど、伸びたラーメンを食べているかのように、いくら食べても一向に減らない、それと似た真逆の状態で、書いても書いても、外せないエピソードを思い出すばかりで、またそれを書いてはまた思い出しして、結末は決まっているのに、文字数だけがやたらと増えていって、進行具合はいつまで経っても1/3のまま…。
続きを書こうと思ったら、書いたところまでとの繋がりが気になって、読み返して脈絡を捉え直すだけで半日を要し、ベッドに寝転びながらスマホで書いてたもんだから、もう目がチカチカしちゃって、こういう時こそ過集中モードを発揮しちゃえと、一気に書き進められる日もあれば、そんな無茶はやっぱり反動があって、過集中が切れると死んだように寝倒してしまって、結局は要領が悪いなと、ちょっと歌いに行って気分転換してと、本当は薬的にお酒はNGなんだけど、そんなことは今更関係ないよねって、でも、お酒飲んで、睡眠導入剤を服んで寝ると、凄くよく眠れるんだ。
それこそ今更、心療内科に行く必要も感じてはなかったのに、書くまでは死ねないと、そして、この先生が超能力者ですか?くらいに心の内を読み取る能力に優れていて、だから、つい本音で、というのか、どう言ったところで見透かされちゃうんだから、思ってることを正直に言った方がいいやって、死にたいから書いていて、書いているから飲みたくなって、飲むとよく眠れるのだけれど、飲まない日は睡眠導入剤が効かなくて、3-4時間で目が覚めちゃうって伝えると、「では、お酒を飲まない日用の、よく眠れる薬を出しておきましょうか」って、え?そんな融通ってありなんだって驚いたんだよね。でも処方箋を書きながら先生は、「お酒を飲まない日用、とはさすがに書けないですね…どう書こうかな」なんて笑いながら仰られるものだから、こっちも笑えてきて、いい先生に巡り逢えたなと思ったりしてね。

減らないラーメンもいずれはなくなるのと同じで、1/3が3/5くらいになり、2/3くらいになった頃、どうしても書けない場面にぶつかって、それは僕自身の狡さと、その相手への申し訳なさ、強烈な懺悔心が、過去の出来事なのに、今の方がより痛みを感じたからで、その行き詰まりから、それまで書いた全てが下らなく思えて、死にたいとはちょっと違う、消えてしまいたいっていう、僕なんて初めから存在していなかったってことにしてくんない、神様よって感覚に陥ってしまったんだよね…。
死ぬために書き出したことで、死しても残るものをもを、当然、生きた残り香も、なかったことにしたくなるなんて、そんなことは不可能だとはわかってはいても、そう思ってしまった以上、最早、死んだとて意味がなく、だったら、何のために書いているのかには更に意味はなく、僕とは一体誰なんだ…?
死ぬことで救われる、逃げられる、はずだと思っていたのに、存在してしまった以上は、その存在を消し去る術がないのなら、死のうが生き続けようが、同じことなんだよ、今の僕には。
あー意味がわかんねー。

もうとにかく筆が折れたし、心も折れた。
僕は、生きながらに死んでいて、死んだつもりで生きていて、意味、意味、意味という言葉だけが頭の中を埋め尽くし、とりあえずそこから離れるために飲みに出て、酔いながら歌っても、その歌詞の意味がまた突き刺さる。
今夜は全然気持ち良くなれない…と思っていた矢先、ママが、「ちょっと覚えて欲しい歌があんねん」って言うので、「何て曲?」って聞くと、「これやねんけど」と、見せられたリモコンの画面には、坂本冬美さんの『ブッダのように私は死んだ』との表示…。嘘でしょ…?「ママ、ゴメン。僕、この歌知らないや」と、だけ言うのが精一杯で、そんなブッダなんて畏れ多いことは言わないから、せめて「畜生のように僕を死なせて」と思ったよ…。

そんな中、久しぶりにリーちゃんから入電で、こんな気分で話せるのか、出るか出まいか悩んだ挙句、出てみたら、リーちゃん特有の間伸びしたトーンで、「チェネエ、お元気?」なんて言うもんだから、元気?元気ってどういう状態?と、もう僕、終わってる…と思いながら、「リーちゃん、元気ってどういう意味なんだろう?」って聞くと、その辺察しのいいリーちゃんは、「あ、チェネエ、やっぱり電話して良かったよ~」って、「これは知人の写真家さんが言ってたんだけど、自分も意識してて、それが、『で?との闘いの連続なんだよ』って言葉でさ」と、教えてくれて、物凄くハッとさせられつつ、納得もし、その後も、この言葉に助けられ続けることになったんだ。
リーちゃんが僕をチェネエと呼ぶのは、以前、とある雑誌で、チェ&リー(二人合わせてチェリー)のド★ピンクレディという、架空のユニット名で、ゲイの仲良し姉妹(血は繋がってはいない)という設定で、ファッションやアートについてや、ゲイあるあるなんかを斜め上からぶった斬るというトークを連載させてもらっていた時期があって、その名残りを未だ引きずっているからなんだけど、僕のせっかちさと、リーちゃんの間伸びのバランスが絶妙で、プライベートでも、チェ&リーは続いているんだ。

で?との闘い、かぁ。
で?
ふむ。
と、そこへSNSの通知が来たので開いてみたら、フォローしているわけでもない人のポストが目に飛び込んできたんだけど…。

創作が好きで芸術系大学まで進んだ学生とか、あるいは研究が好きで専門学科に進んだ学生でもそうだろうが、彼らの「好き」を奪って、潰すことは簡単である。ひたすら「それをやる理由は? 意味は? 意図は?」と問い詰めていくだけでよい。これから進学される学生さんたちは、この罠にだけ留意ほしい。
中島智

…マジすか…。
なんなんすか、タイミングって。
神様っているんだね。
思わずコピーして、リーちゃんに、これって、「で?との闘い」だよね、だねって、せっかちな僕の間合いでの即レスで確認し合えて、やっぱリーちゃん、最高だよ。

とにかく、飲酒日用の薬を服んで、明日から、書けないところは一旦飛ばして、書きたいところから書いてみよう…と寝落ちしたんだ。

つづく。

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