死にたかったんだ、本当は 1(全8回)
庭の木蓮や利休梅や姫林檎や芝桜の花々が咲き誇る、春の盛りのある日の午後、出版社から、初めて書き上げた長編の、私小説なのか、自叙伝的エッセイなのか、自分でも判断のつかない代物の書籍化についてのメールが届いた。
バナーに表示された数行を目にした瞬間、どうせ駄目だったんだろうと思いながら、少し間を置いて開いてみると、ネット書店を主体とした小規模出版では如何でしょう?と、それが意味するところを考えながら、何度も読み返した。
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僕は、双極性障害優位のADHDという病名で、精神障害者保健福祉手帳の3級に認定されている。
これまで二度、鬱になり、二度目の方がより重いもので、スーパーで買い物カゴを持ったまま動けなくなり、ただ立ち尽くして、買い物をしている人たちに不審な目で見られながら、邪魔なんだよって思われているんだろうと感じつつも、希死念慮に襲われている自分をどう扱えばいいのかわからずに、吐き気としゃがみ込みたくなる衝動に耐えるしかなかった。
「大丈夫ですか?」なんて、声を掛けてはくれる人は誰もいなくて、仮に掛けられたところで、「大丈夫、です…」と、言うんであろう自分を、寂しいと思った。
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僕って、子供の頃から、本を読むことも、作文を書くことも、好きだったんだ。だからって言うのも変なんだけど、算数はなんだかよくわからなくって、例えば、「蛇口から毎分○○Lの水が出ていて、排水口からは毎分××L(蛇口からの水量の方が多い)の水が流れ出ます。さて、何分後に満タンになるでしょう?」なんて問題文を読んだ時点で、オカンに怒られる、と思っちゃって、とりあえずは栓しなきゃだし、そしたら十五分で一杯になるよ、と、そんな捉え方をしてしまっていて、また別の問題では、「一周○○kmの池を、A君が自転車で、時計周りで時速○○kmで走りました。B君は徒歩で、反時計回りに時速○○kmで歩いています。さて、二人はどこで会うでしょう」みたいなのもあって、そんなの、A君が自転車押しながらB君と二人並んで歩きながら、途中、池の縁に座って、喋ったり石を投げたりすればいいじゃないの、なんて思っちゃって、そんな計算する意味がわかんないやって、僕の中にだけあるんであろう世界での、妄想ばっかして過ごしてた。
そんなだから、算数は全然勉強せずに、でも、相変わらず暇があれば小説は読み続けていて、それに伴い、語彙力や表現力が身に付いたのか、小学生も高学年になると、作文をよく褒められるようになり、得意科目となっていた、のだけれど、高校一年の時の国語の教科書に、宮本輝の『星々の悲しみ』という短編小説が掲載されていたのを読んで以来、打ちひしがれて、才能とはこういうものなんだと、僕なんかが得意だと思っていたことなんて、思い上がりも甚だしく、恥ずかしいと、すっかり自信を失ってしまい、それでも、書くという行為への思いがそうなだけで、国語自体の成績だけは飛び抜けて良かったんだ。
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大学生になって、ブラジリアンミュージックやJAZZ、フランスやイタリアの映画音楽に傾倒していって、入口は音楽からだったのだけれど、こんな素敵な音楽が奏でられている映画も観てみなきゃと観出したら最後、あー映画が第七藝術と言われている所以ってそういうことなのかって、ちょっとだけわかった気になって、スタンリー・キューブリック監督の映像美はもちろん、彼のスチル写真もまた素晴らしいと思い、僕も世界と一瞬を僕なりに切り取ってみよう、そこに漂う空気の温度や動きや匂いや肌感覚も閉じ込めて、と撮ってみたり、映画の中のインテリアの、ミッドセンチュリーモダンやアジアンテイストや南米の雑多さの中から、僕の好きなエキスだけを抽出して、僕だけの小宇宙を狭いアパートの一室の中に創り上げてみたり、いろんな国のよくわかりもしないけれど、パッケージが可愛かったりするスパイスを買ってきては、自己流の料理を作ってみたりするうちに、これらを全部合わせたものが仕事にはならないんだろうか…と考えてみたら、きっとカフェという形態になるんだろうなと、それを実現させるためにすべきことって一体何が必要なのかな?と、考えるようになったんだ。
つづく。