親友の突然の死。そこから感じたこと。そして覚悟。
親友が突然死んだ。
留学し始めてから1ヶ月くらいたったある日、
親友の一人が急に亡くなりました。原因は交通事故。
あの時、海外にいる僕に電話で知らせてくれた先輩には本当に感謝しています。辛かったはずなのにわざわざ電話をくれたその優しさに頭が上がらない思いです。
これまで祖父がなくなったとかそういう事はあったけど、
同世代の大切な人が亡くなったのは初めてでした。
なによりその親友は僕にとって本当にかけがえのない存在で、
一生付き合っていくだろうなと疑いもなく確信していました。
そのくらい全てをさらけ出してもいいと思える大事な人。
そんな親友が突然死んだんです。
しばらくは全く受け入れることはできませんでした。
状況を理解するのにもかなりの時間が必要でした。
受け入れることができなかったというより、受け入れたくなかったんですよね。
理解したくもなかった。意味がわからなかったし分かりたくないと思った。
だからしばらく涙も出ませんでした。
その間、いろいろな人と電話で話しました。それでも涙は出なくて。
でも頭と胸はずっと締め付けられていて。
丸一日くらいたってやっと、現実と向き合う覚悟が出てきました。
向き合ったら向き合ったでとんでもなく色んな思いが溢れてきて。
今度は涙が止まらなくなりました。
そんな中彼の葬儀は行われ、海外にいた僕は参加できませんでした。
もう僕は生身の彼に会うことはできないのか。彼の顔を直接見ることはできないのか。
そう思うと悔しかったのを覚えています。
親友の死から感じたこと
どれだけ親友の死を悲しんでも彼は帰ってこないわけで。一番つらく、苦しく、痛く、悲しいのは彼自身なわけです。
僕は前に進まなければいけない。彼のためにも。
「人生何が起こるかわからない」
なんて口ではいうけど。耳でも聞くけど。
こうして親友の死を目の当たりにして初めて腹落ちしたような気がします。
こんな哀れなことはないですね。
こうして実際に身近に起こらないと気づけないなんて本当に愚かです。
僕だってあなただって、誰だって今日死ぬかもれないし、明日死ぬかもしれない。
そんなの誰にもわからないし誰も保証してくれないんですよね。
今日生きていることがどれだけ有難いか。どれだけの奇跡が積み重なって今があるのかを考えました。
彼が生きたかった今を僕は生きているわけです。当たり前じゃない。
だから今を全力で生きようと決めました。
そこから時間の見方も変わりました。
人生100年でみたらすごく長いように感じる。
でも100年生きるなんて何も保証してくれないし今日一日生きれるかどうかさえも分からないんです。
そこの考え方のバランスって大事だなと感じました。
結局行き着くのは、、、
人って自分の予想の範囲内のことには対応できるけど、
全く予想していなかったことに対してはとことん弱いんだなと。
そんなときこそ、その人の対応力というか、本質的なところが試されるのでしょう。
結局行き着くのは、「経験する」、「実体験する」ことってとても大きなパワーがあるということです。経験したことはある程度予想できるからです。
本とかを自分事で読むことができれば少しは予想できるのかもしれないけど、やっぱり実際に経験したものには勝てないというか、本当の意味で腹落ちしないなと思いました。
とにかく僕は、
いつ死んでも後悔しないように、
全力で生きたんだ、全力で楽しんだんだって
自分に、そして彼に胸を張れるように、精一杯生きていきます。
それが、僕が彼にできる精一杯の恩返しだと思っています。
そしていつか天国で彼に感謝を伝えたいと思います。
それまで待っててな。
Daigo