十六、5月下旬
2021年5月下旬
コロナ下にもドキュメンタリー映画を観る会はひっそりと続けていて… と言っても主宰者と二人っきりだったりして… そもそも平時から映画を観るイベントはやりづらい… ネットで告知なんてしようものならすぐにおトガめが飛んでくる… 著作権使用料だかなんだか煩わしい… コソコソやってんのは平時も非常時も一緒… ってことで今回は… このところの発達障害の話題に絡めて、精神障害にまつわる〈観察映画〉を選んでもらった…。ある精神科医に集う様々な人たちを映し出してた… 障害者は健常者の欠点を補う役割がある、とか… 健常者なんてものは世の中にいない、とか… 障害者は勝ち目のない戦いのゲリラなんだ、とか… なんだか自分たちが最近喋ってきたようなことを言ってくれてて… 《…でしょうなあ》って断定しない医師の語尾の口調も優しかった… 判定も裁定もできないと… そんなこと、他人を決めつけるなんてたかが個人にできるわけがないんだ…。
自分が気になったのは… 登場人物たちがジュースとかタバコとか買ってきた食べ物とか、パッケージされたモノに囲まれていて… 料理ができないとか… 生きる糧を自分で作ることができないってことからいろいろ始まっちゃってるんじゃないだろうかってこと… 断定したいわけじゃないが… 食糧を自分で得ようという能力を捨ててしまった都市生活者は… 土から離れちまって… そもそも土地からひっぺがされて… ヨーロッパじゃ〈囲い込み〉されちまって… 何世代も経て… バランスを失っちまった… んでしょうなあ… 釣りでもした方がいいかもな… 自分も地曳網の手伝いをしてた頃は楽しかった… せめて山登りにでも行けば癒される…。料理も出さないバーなんてのはまさに都市の病みたいなもんで… 抽象的すぎる… 自分の力で得たものなんか何もない… 買ってきて混ぜ合わせただけ… それこそパッケージされたものばかりに囲まれて… そこから内実のようなでも取り出せない限りは… どうにもならない… パッケージされちまった人の気持ちでも抽き出せなかったら… なんの意味もないじゃないか…。逆に言えばそのために… 料理を出さないわけであって… 抽出のために具象を捨ててるようなところがあって…。
昔の友達に《ロボットになりたい》って言ってたヤツがいた… 何をしたって人間はこの世に悪を振り撒いて… 善い行いなどオコがましいか、もしくはオメデタいヤツの言い分で… その踏み荒らした善行の背後に一歩ずつ悪が振り落とされていく… だからもう何も考えず… 機械のビートに合わせて… 自動的に生きていきたいって… 世捨て人のようなヤツだった… いいヤツだったな… 彼なんかにとっちゃ人の気持ちなんてものは重いから… 返礼の必要なプレゼントの連鎖なんて断ち切って… 無機質なものの方が軽やかで… 人の怨念の痕跡などキレイに拭い取られたものの方が気楽なんだ… 消毒されたような商品を人が好むのも… ウイグルで搾取された労働によって作られた衣服からなんて怨念が漂っちゃって着れたもんじゃない… せめて怨念を着古したボロ着でも着てる方が… 古着にだって前に着てた人の怨念が… 貰い物にも怨念が… お金払えば切り離した気がする… 恩義なしで… 人の気持ちと怨念は表裏一体で… そりゃあ知らない人のことなんか気にせず… 気の知れた者同士の気持ちだけで生きていければいいけれど… そういうわけにはいかないでしょうからなあ… 近親者だっていろいろメンドクサイし… ロボットにもなりたくなるわな…。
ロボットなんかになりたくなかった自分は… 人間の生み出すズレたビートと… 悪行の方を択んでみた… 欲望が悪を生み落とすなら… その悪の方の道を行ってみようじゃないかって… カリブの原住民殲滅から始まった植民地搾取の象徴たるラム酒を売って… 善いヤツだからロボになりたくなっちゃうんだから… 悪いヤツになれればいいんだけど… 悪くもなりきれないから… ダメなヤツになっちゃえばいいさ… 無駄にお酒を飲ませて、無駄に酔っ払って… 気持ちと怨念の入り混じった排出物の山のようなレコードを聴いて… ヌエバ・エスパーニャ(スペイン帝国領地)の産物タバコを吹かして… ダメな気持ちを慰め合って…。人の気持ちなんて信じないと酒場なんかやってられない… しかしその気持ちは… その時その時の単発で、移り気で… 嘘もカッコつけも意地悪ももちろん… 時に怨念にも変わり得る… 永続などせず変わりゆく気持ちの方を信じてみようって… ダメな方を…。返礼を期待するようなお誘いや投げ掛けもできない… 約束もなし… 約束のない邂逅こそが酒場の約束で… 他人を縛るようなものの方がよっぽど悪と思える… 自分には…。だからこれは… 《あっしには関わり合いのねえことで…》の逆パターン… 定点版の紋次郎… 丸腰の… 故郷喪失無産者の… アテのない酒の急ぎ旅… お酒飲むのにツマミなんて要らない… 酒のアテなど必要ないさ…。
最近買ったレコードを店の環境で聴き比べする〈仕事〉に来てくれた客人… 仕事には当然付き合いますよ… ヴァン・ダイク・パークスのシュールレアリズム… これはモンドだ!そういえば… ディズニーランドで表情が固まってしまったミッキーマウス… 固めておいて想像させようってのか… イジワルだった頃の… 表情の豊かさを…。続いてジャン・リュック・ポンティの1980年作… ザッパ名盤にも登場したあの荒々しさと雑味とMPS録音の混沌が… どこにもない!… タイトルは『文明化された悪』ときた!… これは自らの揶揄… 技術の進化で新しい機材のオモチャが出てきて、面白いことでもやってみようとする80年代の幕明け… 心地よいだけの商品フュージョンだってやろうと思えばできちゃうぜ… これは怨念の消されたウイグル産コットン・シャツに帰結する… アジアでもアフリカでも構わない… 差別と搾取という新しいオモチャ… 帝国主義の新しいオモチャを次々に見つけて… 商品化させられる悪を逆手にとって自ら商品化する… これが文明か… フランス系スペイン人のカトリック司祭ラス・カサスはイスパニョーラ島(現在のハイチとドミニカ共和国)のインディオの奴隷化に反対した… と思ったらその同じ口で、(ポルトガル人が既に奴隷貿易を展開している)ギニアから二グロを連れてくればいいと言い放った… 文明ってやつは悪の正当化… 正当化された悪の受け手から作為側にまわってしまえと… 悪は自らをキレイに見せようとする… 機材とロボットを使って… 人をロボット化させることによって… 奴隷化と言っても官僚化と言っても同じこと… 商品化する… 経済効果と言い換えたって同じこと… 善かれと思って… 経済的に… 除菌殺菌された… 駆逐殺戮と言っても同じようなこと… 過去を消した商品として… そんなことがポンティの悪魔的なヴァイオリンによっても可能… 〈悪の文明化〉など悪魔にとっては容易いこと… パッケージさえしてしまえば… 滅菌さえしておけば… 民衆は〈悪〉を心地よく聴き入れてしまう… 五輪だって同じことさ…。
もちろん我々の聴く〈仕事〉は… そんな違和感を聴き逃しはしない… だって〈仕事〉だもの… 1980年前後のロックは… もう一度元に戻ろうとしてた… 77年頃のパンクがあって… 完璧にならない未然感や《せーの》で演奏する人間のズレを採ろうとした… ライブに行けばそれは人力だったんだけど… レコードは既に大量生産の商品で… レコードは聴く者をロボット化する… なぜならロボ化を欲する人はその頃にもいたんだ… 演奏者にヒット曲をやらせようとして… 自動的に踊らされたい人たちが… いつも同じものを聴きたい人たちが… 人の移り気な気持ちなんかに… むらっ気のある支配者の欲望なんかに嫌気が差してたんだ… ライブなんかよりレコードの方がよっぽどマシだったんだ… 同じものを聴かせるということが金になるって気づいて… でもその精度が上がっていくってことは… 息苦しい… やってる方も聴く方も… 楽しんでるつもりが楽しさを強いられる… joyとenjoy… 約束は人を縛るんだよ… これは善いレコードとか約束させられちまって… 現実には再現不可能な一時の記録を約束として… それを善しとして…。
だから言ってみれば… レコードってのは〈文明化された悪〉の見事な象徴ってわけだ… 《あっしには関わり合いのねえこと》の逆で… 誰もが〈悪〉との関わり合いからは逃れられない… だから古いレコードを楽しんで… 忘れちゃならない!… 美の蒐集物として… 過去の約束を大切に取り扱う人たちってのは、悪のスパイラルを断ち切る回収者なんだ!… 表現と怨念のゴミの山の回収者でもある… 善を取り扱うにはそれが〈悪〉に塗れていることを自覚しなきゃならない… 悪を見ないふりして善ばかり言う者は… 善か悪かの両極の二元論… 善も悪も含まれた中間の… 中道だけが取り残されていく… 中途半端は悪となって… それさえも否定されて… ネガティブを捨てたポジティブだけを肯定しようとする… スポーツとエンターテイメントの感動主義…。
ポジティブしかできない… ネガティヴはできない… ポジティブしか言えない体裁だからネガティヴは言えない… ポジティブ主義は意図せずうちにネガティヴを排除している… ポジティブはそれだけでネガティヴを排除する… ポジティブはネガティヴが共にあるから言えるのに… ネガティヴがあるからこそポジティブを言うことができる… ネガティヴのないポジティブは空虚… ネガティヴなき極論のポジティブなど極論過ぎて意義なし… 神の極論化も…。
極論があるから中間が言える… 二元論の中の中間とか… 絶対的二元論を基準にした二元論ではなく… 各々のバランスの中での中間の寄せ集め合い… 各々の崩れたバランスの中の中軸の持ち寄り合い… 極端なものをも知った上での真ん中観… 真ん中観がみんな違う、それぞれの真ん中観の持ち寄り合い… 真ん中を採るために極論を知ってたほうがいい… 極端なものごとを知ってた方がいい… 極論は手段手法だ… 真ん中を採るための極論… 自分なりの真ん中を採るために極端さを知る… 極端な人や物事を知ることは、その人なりの真ん中を採るために大事… そのために極端な人たちがいる… バランスを広げるため… バランスを身近なものに感じてもらうため… 変なヤツが身近にいないと真ん中が採れないよ…。
真ん中はどこ?どこだと思うの?… それぞれの真ん中… 真ん中を知るための極論… 極端なものごとを知りたい… 知らなければ真ん中が採れない… 人に真ん中を感じてほしいがために極端をやる… アンチで両極に振る… 極端に振るから対極が見える… 極端な人は対極を見せるためにある… 極端人にも対極人にも役割がある… 全ての人の重なり合うようなところに真ん中辺りがあって… その境界のはっきりしない、ぼやっと幅広い領域… そこいら辺こそが中道なのだ… 中道に規定も境界もなし… 二元論はあくまで手段として… 善悪を共に携えて… 中道を行け…。
<参考ソース>
『精神』想田和弘監督(アステア)2009年
『コロンブスからカストロまで(1)カリブ海域史、1492ー1969』E. ウィリアムズ著 川北稔訳(岩波現代文庫)2014年(原書は1970年)
『木枯し紋次郎シリーズ』笹沢左保(光文社時代小説文庫)1997年(オリジナルは1971年)
Van Dyke Parks “Song Cycle” (Warner Bros.) 1967
『MONDO MUSIC モンド・ミュージック』(リブロポート)1995年
Jean-Luc Ponty “Civilized Evil” (Atlantic) 1980