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十八、6月初旬

2021年6月初旬

 最中を食べながら、3月終わりに二日間かけてレコーディングした録音のラフミックスについてあれこれ議論して、メンバーたちが帰ったのはまだ日付が変わる前だった。あれからもうあっという間に2ヶ月が経って、この月も切り替わろうとしてた。私は気持ちを切り替えて、酔った勢いで5月上旬のブログを推敲し始めて、その文字数が8000を超えてしまったのは本来の閉店時間の3時頃だった。そんなの今のネットご時世では誰も読まないと思うが、読まれようと思って書いていないのだから仕方ない。

 テニスのオーサカナオミちゃんが全仏のインタビュー拒否問題で、自ら鬱病を告白してスポーツ・エンターテイメントに対する違和感を表明したのは偉かったと思った。(その後オリンピック開会式に聖火ランナーで出てきたのには驚いた。)思いがけず見てしまった森進一のNHK「ファミリー・ヒストリー」では、20枚目のシングル「おふくろさん」が売れてようやく東京に呼び寄せた母親がファンとのトラブルが元で自殺してしまった話が、最中と酔いと文字打ちの余韻に残った。43歳には見えない姿が映像に残されていた。鬱もあったらしいとのことだった。その翌年にヒットした「襟裳岬」は、岡本おさみ/吉田拓郎作による母の死後の新たな試みであった。

 その次の日は身体が重かった。6月は一日からまた飲食店への感染防止協力金についての要件が変わったようだが、どんな違いがあるのかはもう思い出せない。店主としてのやり方は、要件がどのように変化しても耐えられるようなやり方にすっかり収斂されていた。こっそりひっそりとやっていくことはコロナ拡大防止にも理に適うはずだ。政府の方針に従って防御したとしても感染のリスクから完全に逃れることはできないし、たとえ閉じこもって活動を停止することができるとしても、自分が生きることには他の誰かが動かざるを得ないのだから、誰も無実でいるわけにはいかない。誰もが少しずつリスクを引き受け、小さな範囲で分担しながら生きるべきであると考える。お客さんにはみんなスタッフとして〈仕事〉に来てもらう。なるべく事前に連絡してから来てね、ということにしてある。

 この日は私が家の夕飯を作る係で、妻の仕事の帰りを待って一緒にのんびり食べて片付けて、ミーちゃんから〈仕事〉の連絡があった頃にはまだ家にいた。急いで店に行く。ミーちゃんは仕事の帰り途に、週に2日ほど別の〈仕事〉をしに寄ってくれる女性である。彼女に昨日の残しておいた最中をひとつ。あまり話すことが見つからず、沈黙がてら前回話した中国のSFの話をするから、つい「その話、聞いたね」と言ってしまう。他に友達もいない店主にとっての、ましてやこんな時期の、数少ない会話でさえ何も覚えていないのだろうな、と少しだけガッカリする。ガッカリするぐらいなら、そもそも酒場に会話などなくてもよくて、音楽とお酒の感覚だけの静かな店でいい、と考えてたいことも確かに以前にはあった。

 このところのマンボー・ブームでペレス・プラードを聴いていた。「マンボNo.5」も知らない世代のミーちゃんが「時代劇の音楽みたいですね」と言った。昭和後期の江戸ものにラテンを使うアイデアは誰が思いついたのだろう。庶民の、貧しくとも明るい、クラシックとは対極の、雑多でミクスチャーな感じが合っていたのかもしれない。時代も国をも超えた、これもマンボの感染力である。まん防とマンボの言葉遊び的な連想も、サピエンス以来の脳内ニューロンの遊び、意味もない喜び。何か良い話をしたはずの先週のことだってはるか過去のように思い出せないぐらいなのだから、寄ってくれた相手に対して酔って一方的に感覚的に喋って、自分で良い話をしたような感覚だけが残って、宵々それが酔い話。

 中沢さんのこの春の新刊『アースダイバー神社編』を読み始めて、「富士眉月弧」という概念に衝撃を受けた。店を始めてしばらくして『アースダイバー』が出た頃、自分の住む街のことをアースダイバー的に調べてみたことがあった。この地域で最も古そうな神社があって、その由来は歴史的に解明されておらず謎に包まれている。公民館の郷土資料室に通っているうちに、元社会科教師という郷土史研究家のおじさん(この方はそれから10数年後、この店に演奏に来ていたミュージシャンの父親だということが分かる)に話しかけられ、出身高校の話から「その近くに住んでる〇〇さんという家がその神社の由来に関係している」という話を教えられた。それはなんと、お店を始めてからも最も顔を出してくれていた、私の高校時代の一番の友人の家だった。本人に聞いてみてもその謎は深まるばかりで、アンタッチャブルな怪しささえ漂わせていた。この話には一冊の分量になるような研究が必要だし、何より彼の親世代が亡くなってからではないと書けないようなスキャンダルと、1500年以上にわたるこの国の歴史以前の神話的要素が絡んでいる。その神社は「富士眉月弧」のエリアに位置し、『アースダイバー神社編』における縄文/海民/伊勢の三要素にも全く当てはまるのだ。それは、縄文/弥生/国家の積み重なりとしてのニッポンの三要素としても、また現代を支配しているであろう二元論に対抗しうる〈三元論〉のヒントともなりうる、と私には思える。

 縄文人の残党と思えるような客人ツーさんから電話あり、30分ほどしてようやく現れた。協調性を軸に集団農耕から国家社会が築き上げられてきた、というような認識に対して、個々で動ける狩猟採集民タイプの精神的な要因が現代の発達障害に関わっているという仮説がある。つまり発達障害的なタイプの人間は、縄文以来の社会にもずっと少数派としての役割があり続けてきた、ということだ。この店に集う人たちと何よりその店主にとって、この仮説は魅力的な話である。縄文人と発達障害というテーマで考えてみれば、むしろ逆に、弥生以降の社会の方が発達に障害を来しているのではないか!進化と退化は表裏一体であり、社会の発達とは障害との裏表であったと捉えられるかもしれない。環境循環的にも完全な形態だったであろう縄文社会が崩れていったことを発達と呼んで、そこに適応できない人間を障害と呼んでしまう。発達障害も縄文の名残り、縄文の叫びなのではないか!

 この店に集える音楽好きの人たちは、たかだかこの100年のレコードの歴史の中でのロックヒーローや著名なアーティストや、数百年の間の傑出した個人記名の作曲家たちを気にしてしまうわけだが、もうそんな場合ではなく、幾千年数万年ぐらいの大きなスパンの中での縄文系日本人として、無名の先人たちを踏まえてこの現代を考えていかないといけない。たかだか国家文明以降の、記録と記憶に残ったイデオロギーなんかに塗れてしまっちゃいけないのだ。だから「日本人として」などという言い方をすれば右翼っぽくなってしまうかもしれないけれども、縄文系日本人というスタンスがあるとすればそれは超絶極右であり、超保守の本流、いや保守ド底流と言うのが相応しい。これこそ幻想の根本的革命思想である。ツーさんは革命を欲しているのだ。

 縄文の循環社会から、集団農耕のちょっとした豊穣の蓄えが過剰を生んで階層や王権国家へと飛躍していく、その紙一重のちょっとした違い。そこから全てが始まってしまうわけで、それを既に進みきってしまって元に戻ることのできない過去の歴史として切り捨てるのではなく、そのちょっとした違いを〈縄文/弥生〉というような言葉で感じることのできる縄文系日本人にとっては、その紙一重な違いの二者択一的な岐れ道は今も常に生活の中にあり続けていて、今でもそこから全てが始まっていってしまうのである。そこが、その違いが分かる人はそれを知るべきだ。分かるなら知るべき。分からないなら、どうしようもないな。

 「そう考えるとさ、縄文ってのはクールじゃないのかい?」縄文の火焔土器を岡本太郎はホットと捉えて、芸術的個人の集団として縄文のイメージを変えようとしたかもしれないけど、縄文人が四六時中お祭りで盛り上がってたわけじゃない。個々のホットさを使って一万数千年の永きにわたるクールさを続けてきたわけで。現代の経済市場主義は四六時中ホットなマーケットのお祭りを続けようとして、資本主義社会参入者にホットを求めて短期的経済のホットさを継続的に過熱させようとする。その一方で、長期的持続社会のクールさのためにはクールを押し付けておく他の誰かが必要なんだ。社会と人間についてのホットとクールが逆転してるんだよ。コロナ自粛で国民にクールを求めて、動こうとするホットな民衆を断罪して、回さなきゃいけないとか言ってる経済社会は、化石燃料とマシンの熱とCO2と、戦争と分断の憎悪でもう気温上昇しちゃうぐらいホットなんだよ!

 得たものは返す。何かを得てもらうんだけど、全部持っていくんではなく少しは返してもらう。そのようなバランスで言えば、好きに取ってもいいけど取ったものはなんらかの形で返す責任がある。肉を取ったら骨や皮だけでも。形だけでも。型が形式化して儀礼だけ返す。形骸化して中身も受け取れなくなる。自然そのままの聖地があって、聖地にガツガツと足を踏み入れる人間がいて、聖地と拝所を分けて、聖地が分からなくなって拝所だけが残って、拝所に有り難く礼拝して、写メ撮って、シェアして、SNSに献上して結局SNS業者の利益になって、一体何を返したというんだ!「写真を返してるんじゃない?SNSに返してるってことはさ、写真投稿のSNSはショットした獲物の〈熊送り〉の儀礼の形骸化の新しい宗教なんだよ。だってラーメン屋とかでさ、自分が食べる前に写真撮ってさ、神に捧げちゃってるじゃん。」

 私の商売はと言えば、お酒とお金とを交換する。しかし「ビールくれ!」と言いつつその実態は話をしに来ている。「これは美味しいね」とかもはやそんな話は誰も言ってくれなくなった。お金とお酒を取引しているようで、それは形式上の話で、実際は中身をやり取りしている。お酒を出し対価を払っていただく二元論の体裁を取りつつ、お酒を提供しながら話をすることが中身で、その中身を採って骨と皮としてのお金を返してもらう。商売の二元論にやられず、ということはそれを使いながらもそれだけに終わらずに、中身をも採るということが〈三元論〉だとすれば、その違いが分かる客人、あるいは真ん中を採れる人、〈間〉というものがあることの分かる人たちを客人として商売することを選ぶ。私はサービスが商品であるというような二元論、サービスの対価としてお金を払うなんていう二元論には耐えられない。客人を商品とサービスの二元論で囲って操作できる、コントロール可能な数として捉えるような商売のやり方は、私にとっては既に無効なのだ。

 このコロナ下で苦境に立たされているのはそのようなやり方を相変わらず採っている業者であろうと思うし、数の論理では大規模化しロボット化していくしかない。客人を〈お客さま〉などとバカにしたような言い方で呼びつけて主客を切り離しているようでは隔離化していく一方で、実店舗など保つ意味もなくなるだろう。残されるのは中間の取れる小さなやり方だけだ。コロナ以前からやってきたことが、つまりヒマな店ながらも20年持続してきた私の小さなやり方が、このコロナ下にも相変わらずできていて、この困難な時代にもぴったり合ってたということになる。商売としては全くうまくいっていないようなやり方がちょうど良い。協力金も貰えるし。私は時代の先読みをして先手を打っていた、ということになるわけだ。これは経済的な論理としてはともかく、精神的なやり方としてあながち間違ってなかった、ということになるだろう。今のところ。もう元には戻れないだろうけど。

 一方で、客人を列に並ばせ、同じようなものをひたすら作り、同じ笑顔と平均化されたサービスを提供し、同じ代金をいただくような商売は、店側のスタッフを規格化するだけでなく、客人をも画一化する。客人にも受け手としての規範のようなものを強いる。私は店の外に行列を作らせて順番を待たせているようなB級グルメ店と、配給を待つかのように黙って並ぶ数字のような人たちを見かけると、見えない機関銃で連射したくなる。流行りに対する僻みなんかじゃないぞ。後で期待に外れた恨みをネット上で批評してくださるような匿名の神様など、こちらから願い下げなのだ。

 自分で考えられる、三元論的なことを無意識的にも感じて動ける中間的な人たちと共に生きる。対等で平等で、例えば友達のような関係は、商売の外にしかないわけではない。お金のやり取りをしているからって友達ではない、なんてことはない。(家族でさえ金でモメるではないか!)それに、商売で稼いだお金を家族との生活ために使うことだけが生きるということであるはずがない。商売の時間も生きている大部分の時間であり、商売の人間関係の中で気持ちをやり取りすることこそが社会的に生きているということになる。お金は商売にとっての約束事の同意であり、やりとりする気持ちの〈殻〉である。だからマケてくれと言われればマケちゃうし言われなくてもマケちゃったり、時にはボッタくる時もある。あ、言いすぎた。お気持ちを汲んで多めに頂くこともある。開店や閉店の時間はルーズであり、遅れる時もあれば朝まで付き合うこともある。その時その時であり、客人はみんなバラバラである。単独で飲みに来る個性たっぷりの面々はもちろん個人主義者だと言えるが、だからと言ってみんな非対称でバランスなんか取れていなくて、自分も含めて、いや店主がそんなだからこそ、そんなことは当たり前なのだ。

 アンバランスな人たちとアンバランスを取り合える社会とは、どれぐらいの規模なのだろうか。自分の小さな店から世界を考える、という無謀を冒すのだよ酒場ってやつは。世界規模でバランスが取れたらいいのかもしれないが、勝ち組のアンバランスを目指す人たちがいれば、その分の負のバランスを取らされてしまう人たちが出てしまう。スポーツに夢や希望や勇気を!と言って世界一という勝ちの理想を作り、それを叶えたらストレスになり鬱になってしまうのならば、夢や希望というシステムが鬱的な病理を抱えているのかもしれない。世界平和も何かの統一も全て鬱的で、鬱的な理想を目指すというのだろうか。子どもたちにも。だから、バランスの取れた個人を基本にして勝ち負けや損と得とで社会のバランスを考えるような個人主義なんか良くなくて、バランスの取れた個人など数の論理になってしまうわけなのだから、そんな個人バランス主義じゃなく、アンバランス個人主義者たちでアンバランスを取り合っていくしかないのだ。それが酒場のアンバランス主義なのだ!

 それは縄文火焔土器の非対称さを見れば一目瞭然だ。非対称のアンバランスを基調にした循環社会と、ちょっとした余剰を蓄えて返さないことから始まる格差と階層のために誰かが負のバランスを取るしかない〈縄文/弥生〉の二元論を楕円の焦点とするならば、我々日本人というのはその楕円的世界観の周縁をぐるぐる回っていて、その楕円軌道を底層にしてその上にアマテラスの一神教的な国家観が真円のようなフリをして積み重ね上げられた三元論的な構造になっているのがニッポンということになる。その一元的な真円は円周率のように鬱的な構造になっていて、中心に近づくほど発症する。その中で縄文の残党たる現代のアウトサイダーである私たちは楕円の二つの焦点の近くというよりは距離をとって、冥王星かあるいは彗星のように遠くを気まぐれな軌道で回っている。近づいては離れ。鬱に陥らないように。縄文の叫びに耳を傾けながら。

大源太ゲン

<参考文献>
「アースダイバー神社編」中沢新一(講談社)2021年
「アースダイバー」中沢新一(講談社)2005年
「新篇ハバナ午前三時」ペレス・プラード楽団(日本ビクター LS-5106)1956年

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