大きいおばあちゃん
おじいちゃんの会社が倒産してしまった、という先ほどの母の日記は、ぼくが小学校3年生の年の10月5日のものだった。
そして、そのわずか4日後の10月9日の日記にはこのように書かれている。
「また、大源太と○○(弟)へ。
10月9日6時28分、○○の(母方の)大きいおばあちゃん(ひいおばあちゃん)が亡くなりました。88歳の米寿の誕生日(9月29日)を過ぎてすぐのことでした。
お母さんは、9月末におばあちゃんの誕生日に花を持って行きましたが、その時、もうおばあちゃんは“死ぬ“と思いました。おばあちゃんはみんなと握手して「もうダメ。さようなら」と言いました。
おばあちゃんは最後までとても立派でした。みんなに手を合わせて感謝をしながら死にました。死んでから着る着物なども、全部自分で作って用意してありました。死ぬ何日か前に、1人夜中に墨で巻き紙に書いた遺書もありました。枕元にメモ帳を置き、それに鉛筆でみんなに感謝の気持ちを表していました。
お母さんは、生まれてから結婚するまで、ずっとおばあちゃんと一緒に生活していて、とてもおばあちゃん子でした。おばあちゃんの気持ちはとてもよく分かりました。
苦しみながらも、みんなに感謝しながら死ぬことのできたおばあちゃんは幸せだったと思います。2人のことも、とても可愛がってくれました。これからはおばあちゃんは、2人のことを天国から見守っています。おばあちゃんを悲しませるようなことをしないでくださいね。
おばあちゃんは、本と友達をとても大切にしていました。どんなにお金に困ったり、悲しいことがあっても、本と友達がいれば大丈夫と言っています。
おばあちゃんは、とても苦労した人ですが、いつも一生懸命に生きてきました。みならわねばならぬことがたくさんあります。お母さんは、おばあちゃんに「ありがとう」という気持ちでいっぱいです。
この一ヶ月間、いろいろなことがありましたが、私たち地上に生きているものは、その生を一生懸命生きることです。
あなたたちも、これからいろいろ大変なことがあるかもしれませんが、最後までみんなに感謝しながら生きてください。」
母方のひいおばあちゃん(母にとってはおばあちゃん)が大往生で亡くなったのは、ちょうど倒産騒ぎでおじいちゃんおばあちゃん(こちらは父方)と会えなくなってしまったのと同じ時だった。
母親自身も、これまで親しい人の死に立ち会ったことはなかったので、上の文章を見ても分かるように、心から慕っていたおばあちゃんの死は相当こたえたようだ。
そして、そこで語られているように、自分の数少ない記憶の中で思い返しても、確かに素晴らしいおばあちゃんだった。
おばあちゃんは、まだ子供が小さい頃に夫を亡くし(つまりひいおじいちゃん)、大変な苦労をした人だった。そして育てた息子(つまりおじいちゃん)はとても立派な社会人となり、大変な出世をした。
それでも、おばあちゃんは、決して偉ぶるところや、感情を乱したりするようなことはなく、常に静かに優しく、笑顔で、それでいて芯のしっかりあることが小学生にもぴりぴりと伝わってくるくらい、凛としていた。ひ孫のぼくたちを、本当に可愛がってくれたのも、今もよく覚えている。もう40年前だが、やはり愛情をたっぷり持って受けた記憶というのは、しっかりと刻まれて決して忘れないものである。
それから約二ヶ月後の母の日記には、こう書かれている。
「おばあちゃんが亡くなってから、もうそろそろ二月。
おばあちゃんのことを思い出すと、必ず笑っている顔が浮かんできます。
とてもやさしいおばあちゃんでした。
おばあちゃんは、何か新しいことに出会うたびに必ずノートにメモをしていました。本から、新聞から、短歌や詩など難しい言葉の講釈など…。これが日記がわりでした。
去年の冬、おばあちゃんからもらったメモを見ていたら、こんなことが書いてありました。
7つの名言
一.世の中で一番楽しく立派なことは、一生を貫く仕事を持つこと
一.世の中で一番みじめなことは、人間として教養のないこと
一.世の中で一番さびしいことは、する仕事のないこと
一.世の中で一番みにくいことは、他の生活をうらやむこと
一.世の中で一番尊いことは、人のために奉仕して決して恩に着せぬこと
一.世の中で一番美しいことは、すべてのことに愛情を持つこと
一.世の中で一番悲しいことは、うそをつくこと
そして
教養のある人とは
自分の内部に絶えず美学を養い育てる人
良い言葉だと思ったので、書いておきました。」
そして、それを母親が日記に書いてくれたので、またこの良い言葉をみなさまに広めることができます。こういうのが財産っていうんでしょうね。