昭和の小学生、ネパールに行く(2)_Nepal in 1979 王宮へのパレード
1979年、私が小学校2年生の時に母と行ったネパール旅行の2日目である。
2日目は、ネパールの王様の誕生日。王宮へのパレードがあり、昨日のテンジンくんの家からよく見えるので、ぜひ来るようにと誘われていた。この日はもともとヒマラヤマウンテンフライトというものに行く予定だったようだが、何やら飛行機の故障で飛ばないことになってしまったので、お誘いに甘えてお伺いすることになった。
パレードは十二時から始まった。鉄砲を持ち、腰に剣をつけた兵隊さんを先頭に、ネパールにいるあらゆる種類の人々がパレードに出てきて、それはそれは壮観だったようだ。ネパールは今は王制ではなくなってしまったので、今はこれに近いものがあるのかどうかはわからないが、いずれにしても当時ならではの貴重なものであったと思う。
ところが、とうの大源太少年は、そのあまりの異様さに度肝を抜かれたのか、母に「見なさい」と言われても「いやだ」と言って何やらぐずぐず言っていたらしい。
まあでも、当時8歳の小学2年生である。この反応は、ある意味当然なような気もする。前回も書いたが、なにしろ当時はネットも地球の歩き方もなく、全く予習もイメージもないところにいきなり満面のビジュアルと現実が一気に押し寄せるのだ。相当削られたんだと思う。
テンジンくんの家はチベットレストランをやっていて、お昼はチベットのモモ(ぎょうざ)、にんじんと大根のサラダ、肉を挟んで揚げたパンなどをご馳走になった。ぼくはよく食べたそうだ。
その後、テンジンくんのお父さんに案内してもらって、カトマンズのスワヤンブナートというお寺に行った。この記事の扉写真にもなっている、巨大な顔のある寺院である。お猿さんがたくさんいる。
ここで、5歳くらいの女の子が、1、2歳の弟をボロでくるんで抱っこして、物乞いをしていた。ぼくは「おかあさん、お金あげてよ」と言ったそうだ。いろんなネパールの様子、当時行った時のことはあまり覚えていないことも多いのだが(この記事は母親が当時書いた日記を元にしています)、この物乞いの女の子の様子だけは焼きついたように今でも記憶に残っている。だって、こんな現実。ぼくより小さい子が。この世界は。
その後、国立博物館、ダーバースクエアに行き、インドラチョークを通って帰る。
夜は、ホテルのレストランで食べた。野菜付きの鳥の唐揚げがとてもおいしかったそうだ。この晩は停電が長かったともある。この当時はまだ頻繁に停電していたんだろうと思う。停電の時はろうそくをつけていたそうだ。
同じホテルで、山と渓谷社のパーティがあり、そこにいた登山家のテンジンさんにごあいさつ。これは昼間のテンジンくんではなくて、あのエベレスト世界初登頂の「ヒラリーとテンジン」のテンジンさんである。とても優しかった。ぼくの小さなザックにサインをしてくれた。
奇跡的に家の奥深くから当時の写真を発掘することができたので、ここからはその一部を紹介します。
まず、この日のお昼に見た王宮へのパレードの様子です。
ここからはカトマンズ市内の様子。先ほど出てきたダーバースクエアやインドラチョークなど。