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ぼくの夏休み

あらすじ:小学校4年生の大源太くんは、会社が倒産してしまって以来会えなかったおばあちゃんの家についに遊びに行けることになった。しかも夏休みの間中、子供たちだけで1か月間の長逗留である。東北新幹線開通前の東北本線をひたすら北上し、約11時間かけて岩手県の大船渡に到着した。

 大船渡について数日は、母も一緒に、色々とここでお世話になっている方々に挨拶に行くなどしたり、近所を散策したりして過ごしていた。
 その時の数日間は日記に記録が残っている。


  • お世話になっている鉄工所の社長さんに挨拶に行く。とてもいい人たちだった。

  • 港に釣りに行く。イラコという海藻の中にいる回虫みたいなのを餌にして、あいなめ、かじかを大量に釣りあげた。大は魚拓にした。

  • 弟は朝早起きして、隣の家の猫と遊んでいる。

  • 隣の畑の草取りをみんなで手伝う。大源太は青虫を見つけるともう草取りどころではなく、箱を探してきて中に入れ、モンシロチョウになるのをみるのだと言っていた。草取りを手伝って、畑のおばあさんにキャベツをもらう、

  • バスで大船渡に行き、マイヤというデパートでお昼を食べて買い物をする。二人は虫取り網、たも、虫かごを買う。

  • 近所の田んぼに小さなかえるがいっぱいいる。二人共、田んぼの畦に降りて、かえるをつかまえる。弟はころんでもかえるをつかんだ手をにぎりしめていた。

  • 近所の川に行き、ももまで水につかって川の中を歩く。同じくらいの子供たちが何人か川の中を歩いていたので、大源太も一緒になってやっていた。弟が転んでびしょぬれになってしまった。二人だけで来ると危ないから来ないようにと言っておいた。

  • 大がトイレに入る時、せんたくばさみをくれという。汲み取りトイレがくさくて、鼻をつまんで入るのだという。

  • 大がトイレから「おかあさんおかあさん」と呼ぶ。行ってみると紙がないという。ちゃんと目の前に昔風の四角い紙が置いてあるのに、大は丸いトイレットペーパーしか知らなかったのだ。

  • 弟が小さなかえるのことを「かえるの赤ちゃん」と言って、みんなに笑われる。かえるの赤ちゃんはおたまじゃくしだよ・・・と。


 平和である。

 どこをとっても、平和で幸福な話しかない。
 とても、凄惨な出来事があった末の顛末として起こっているエピソードとは思えない。それがなかったらこれはないわけで、本当になんともどう転ぶかなんてわからないものである。

 7月26日に着いて、28日の朝には母は横浜に帰って行った。日記によると、帰りは急行電車に乗り、合計12時間以上かけて帰ったらしい。


 母親が帰っていってからの岩手の日々は、今思い返しても自分史上に残る、最高にして完璧な夏休みとなった。

 まず何が素晴らしいって、ここはとにかく四方八方自然に囲まれている。
 自分は横浜の新興住宅地で育ったので、家の周りは基本コンクリートで家ばかりだし、田んぼも畑も近所にはない。かえるや虫などの生き物に会うことも稀であっった。
 それがどうだ。ここでは、家を一歩出れば畑も田んぼもあり、図鑑でしか見たことのなかったような憧れの生き物たちであふれているのだ。かぶとむしだってミヤマクワガタだって、蛍だっている。小学生にとって、これ以上に心躍ることがあるだろうか。

 自然にあふれているから、視界に入る景色は基本的に鮮やかな緑と青しかない。
 この単色の暴力的な力強さが。
 今まで横浜で見てきた外の景色は、基本的に「建物と乗り物たち」だった。ちかちかする無秩序な色のかたまりを見て、それが世界だった。
 しかしここには、シンプルで美しく鮮やかな、単色の世界が広がっている。生命力に溢れる色だ。今でもその様子を覚えているくらいだから、とても新鮮だったのだろうと思う。

 また、それに加えてなんといっても、この1か月間は、とにかく本当に何もしなくていいのだ。そんな夢のようなことがあるだろうか。
 朝から晩まで、ただひたすらゴロゴロと好きなことをしていても構わない。おばあちゃんの家だから、あれしろこれしろとうるさく言われることもない。いかに小学生といえども普段だったらそうもいかないだろう。大体は何かしらを「しなければならない」「してはいけない」ものだし、遊びに行ったら行ったで「今日は海に行かなければ」「この時間に帰らなければ」という制約が絶対にあるものだが、この時は全くもってそういう束縛が一切ないのだ。まさにノーストレス。本当に身も心も自由だった。

 おばあちゃんの家は、この時は夏休みだからなのか誰もいなかったが、普段は鉄工所の若い衆の合宿所のような使い方をしているらしく、平家だが部屋もいっぱいあって、お兄さんたちの荷物がいっぱい残っている。
 まんががふんだんに置いてあって、朝からゴロゴロしながらまんがを読み漁ったりしていた。こち亀がコミックスで置いてあって、ゲラゲラ笑いながら読んでいたのを覚えている。こち亀もまだ10巻代だったように思う。
 そういえば、初めてガンダムの映画を見にいったのもこの岩手にいる時だ。忘れもしない、大船渡の映画館に「ガンダムII 哀戦士編」を見にいったのだ。感動した。早速ガンプラを買って帰って、作って弟と遊んだ。これもはっきり覚えている、1/100シャア専用ザクだ。ここで初めて見たガンダムは今でも大好きだし、その初めての光景や「哀戦士」の歌などは、大船渡の風景と一緒になって記憶に残っている。

 暑い夏の日、でも今よりは涼しかっただろうし、しかも東北の夏だから、過ごしやすかったに違いない。特にクーラーなどなかったと思うし、それでも暑くて大変だった記憶は一切ないから、快適な日々だったのだろうと思う。ちょっと大きめな、風通しのいい田舎の家、畳の部屋。そして、手の届くところに麦茶も、コーラも、すいかもなんでもある。ごはんだっておばあちゃんが毎日おいしい材料でおいしいものを作ってくれる。子供が喜ぶからと何日かに一回はカレーになる。天国である。

 永遠に思えた1か月間は、あっという間に過ぎ去った。
 帰る日が近づいてくると切ない気分になった。子供ながらに、あぁあの世知辛い日常に戻っていくのだ、また毎日学校に行かなければならない日々が始まるのだと思うと、暗澹たる気持ちになっていった。


 改めて思うけれど、自分にとって、これほどまでに自由で楽しかった日々は、この時以外には後にも先にもなかった。
 この時の経験は、なんとなくだが、その後の自分の一部を確実に形作っていると思う。自分が物を考えたりするときのベースになっているのは、間違いなくこの夏休みの日々の自由な経験がもとになっている。

 繰り返すが、この岩手の日々は、「おじいちゃんの会社が倒産してしまい、夜逃げ同然で北へ逃れて行った」「母親が中国登山隊に行くから家を空けなければならない」というまず通常ないであろう特殊な状況がいくつも重ならなければ起こり得ないことだったのだ。それが、今でも明確に覚えていて、自分の一部になっているような強烈な体験を生む日々につながるとは、まさに運命の歯車である。

 この夏休みは、自分が「子供」として存在していた時の一つのピークかつクライマックスであり、「子供」時代の終了に向かう一つのターニングポイントであったような気もする。というのはこれ以降数年間の記憶はだんだんつらい内容が多くなり、庇護される子供というよりは、まだ力のない大人としての理不尽さを感じるものが増えていくからだ。子供時代の卒業旅行というか、ボーナス的なものだったのかもしれないなと思う。


 そして、自分達が夏休みを満喫している間、母親は中国奥地の天山山脈で、これまたこれまでになかった経験を経て、日本に帰ってくる。期せずして、親子とも別々のところで、後にも先にもないような体験をすることになったわけだ。

 お互いふわふわした感覚のまま横浜に戻ってきて、否応なしにいつもの日常が戻ってきた。

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