「三国志転生臥龍伝」の予定は未定
将来的に、年齢的なものや喘息の悪化などで、完全に歌えなくなったら、文章を書いてストレスを発散しようと思っています。
現在も、やっている事ですけど、もっと多くなる予定です。
その時には、ストーリも作ろうと思っています。
その題材の一つとして、三国志があります。
三国志のオリジナル小説は、プロアマ共に、人気の参考題材ではないかと思います。
そして、ある時期から見られるようになった、《転生物》の流れに乗ってか?
近年、諸葛亮孔明が、某漫画で転生したようですね。
それで、私も、将来三国志の物語を書く時は、諸葛亮を転生させようと思っています。
それは、三国志が好きな人、あるいは、シミュレーションゲームの三國志をプレイした人ならば、一度は考えた事ではないでしょうか。
三国志演義の主人公である劉備は、諸葛亮を召し抱えるまで、負け続けて逃げ続ける人生を送りました。
もし、旗揚げ時から、諸葛亮孔明がいたならば!
三国志転生臥龍伝
五丈原で陣没する瞬間の諸葛亮の脳裏に、天からの声が…。
「時を違えた臥龍よ、正しき時に目覚めなさい…」
この天の声は、三国志演義で劉備が諸葛亮を登用しようとした時、水鏡先生(司馬徽)が言った言葉。
「臥龍(諸葛亮孔明の事)は主を得たが、惜しいかな、その時を得ず」
にかけています。
この意味を。
諸葛亮が劉備に仕えた頃は、すでに曹操が主要地域を押さえてしまった後なので、そこからどうにかなるものではない時期だった。
つまり、時が遅かったと、個人的に解釈しています。
曹操以外だったら、可能性はあったと思いますが…。
次の瞬間!
諸葛亮が目覚めた場所は…幽州の涿県楼桑村。
劉備の生まれ故郷です。
53歳で死んだはずの諸葛亮の目の前に、若き日の劉備が。
我が君…。
転生諸葛亮は、心の中でそう言うと、この状況を把握します。
184年黄巾の乱!
転生諸葛亮は劉備の師となります。
(名前は諸葛亮孔明とは名乗りません)
劉備、関羽、張飛、簡雍、田豫。
旗揚した、若き彼らを、転生諸葛亮が導くのです。
この後出会う、趙雲、陳羣などの有能な武将を、しっかりと配下にします。
曹操の徐州大虐殺の時は、戦乱に巻き込まれる幼き諸葛亮を、転生諸葛亮の命を受けた趙雲が救います。
そして、趙雲が、転生諸葛亮から預かった書を、幼き諸葛亮に渡すのです。
そこには、いったい何が…。
そして、転生諸葛亮の戦略で、曹操や袁紹とも、対等に渡り合います。
転生諸葛亮が70代も後半になり、その命を終える頃。
「荊州を訪れ、三人の知を得よ」
と言葉を残し、この世を去ります。
諸葛亮、龐統、徐庶です。
転生諸葛亮の活躍により、劉備は、曹操に重要地を占領される事なく、若き諸葛亮に出会います。
そう、《惜しいかな時を得ず》には、なっていない状況です。
こんな流れの物語を、完全に歌えなくなったら、書こうと思っています。
出来るだけ歌い続けたいので、いつになるかは分かりませんが、時々想像するだけでも、楽しいものなのです。
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