今日より悪い明日は来ない
脳卒中や交通事故などで、脳の一部を損傷することで、言葉や記憶、感情といった人間が持つ高度な機能に障害が出てしまう「高度脳機能障害」。その原因や症状、社会でどのように受けて止めていくべきか、もう少し具体的にお話をします。ゲストは大同病院 高次脳機能障害センター長の深川和利医師です。(2024年3月1日配信)
今日より悪い明日は来ない~後遺症は改善する
イズミン 高次脳機能障害の原因やきっかけについて教えてください。
フカガワ この障害の診断基準(内容的には障害の認定基準)というものを厚生労働省が作っていて、その中に書いてあるのですが、まず一つは、後天的な脳の損傷であるとういうことです。後天的な病気やケガで起こるわけですが、脳損傷の原因として一番多いのは脳卒中ですね。脳出血、くも膜下出血、脳こうそく、それが過半数だろうと思います。次に多いのは、ケガ、頭部外傷なのですが、これは圧倒的に交通事故によるものが多いですね。
その他、いわゆる脳炎や低酸素脳症などさまざまなものがありますが、例えば私の外来の95%は頭部外傷の方です。
イズミン ポイントは、脳損傷の後遺症だというところですね。
フカガワ はい。脳がいったん傷ついてしまうと、完全に元通りに修復されることはなく、傷跡が残ってしまうのですね。すると傷になったところが元々担っていた仕事はできなくなってしまいます。ですからなんらかの脳機能の低下という後遺症という状態が多かれ少なかれ起こります。
ただ、皆さん「後遺症」というと、もう治らないと落胆されるのですが、後遺症というのは、傷はもう終わったこと、過去のことであって、これ以上進行することはないのです。これがすごく大事で、つまりよくなることはあっても悪くなることはない、「今日が最悪の一日」で、「今日より悪い明日は来ない」ってことなのです。ですから、後遺症だと落ち込まず、希望を持っていただきたいですね。
実は、高次脳機能障害、認知機能の低下は、良くなるのです。どういうことかというと、事故や病気に遭ったその日、脳に傷がつきますね。ここが一番悪い状態ですが、そこから2年、3年という長い時間をかけて徐々に脳機能は回復するのです。知能指数(IQ)でいうと、15ぐらいは回復するようです。IQ15の回復とはかなりの回復です。例えば事故でIQが70まで低下してしまった人が、85に戻りました、となりますと、IQ70は障害レベルの知的機能ですが、85は普通なんですよね。それくらい良くなります。なので、最初の数年間は機能がどんどん回復していく時期だと考えていただいていいと思います。
シノハラ 回復するというのは、基本的には残存する脳細胞が、トレーニングなどによってパワーアップして、失った機能を代償するということですか。
フカガワ はい、残ったところが働くようになります。実際に機能画像で見ると、損傷部位の周辺あるいは反対側の脳葉が活発に動いていることがわかります。起こっている現象としてはおそらく、既存の別の脳回路が働くようになるのです。これは損傷後すぐに起こってきます。それから新しい神経回路を作って失われた機能を代償することも起こります。これには時間がかかります。数年かけて徐々に機能が上がっていきます。脳の傷自体は完全に元通りにはならないけれど、3年くらいの間は、脳機能はすごく良くなるというのは実感できますね。いずれは機能回復としては頭打ちにはなりますけれども。
ただ、放っておいても回復するわけではなく、トレーニングが必要です。そのための専門アプローチが策定されているので、できれば皆さんがそういうプログラムに参加して、スムーズな生活が送れるようになるといいと思います。
シノハラ リハビリの言語聴覚訓練とか、そういう感じのものですか。
フカガワ そうですね。受傷後、最初の数年間は、医学的な意味で機能回復が起こります。だからこの期間は医学的なアプローチで、脳のリハビリ、認知リハビリということを病院でやれる時期です。3年経って回復が頭打ちになったらもうダメかというと、そうではなくて、脳は学習する臓器ですので、新しい神経回路を作ってどんどん新しい機能を身につけていくことができます。IQは上昇しなくても、できることは増えていくはずなんですよね(外国語を勉強するとき、IQが上がるから外国語が身につくわけではないのと同じです)。
記憶力が低下し、頭の中に記憶できなくなったのなら、頭の外に記録すればよいのです。今はスマホがあります。スマホは、要はモバイルコンピュータ、日本語にすれば電子頭“脳”、「頭蓋骨の外にある脳」なのです。これを自分の脳の代わりに使えば記憶障害による支障は回避できます。このように代償手段を使えばスキルをどんどん身につけることができます。新たな力を身につけて学習していける。それが脳の強みです。
これを社会復帰にもつなげるためには、個人ができる・できないとは別のところで、社会が対応できるかがキモになってきます。だから、社会環境を作るということも同時にやっていくことがすごく大事です。
こんな症状は、実は高次脳機能障害かもしれない
イズミン 高次脳機能障害の具体的な症状について改めて教えてください。
フカガワ 厚労省の診断基準に四つの症状が書いてあります。
一つ目は注意障害。これは世間一般でいう不注意、集中力がない、根気がない、続かない。といったものです。
二つ目は記憶障害、物忘れ、覚えたはずのことが思い出せないという状況ですね。
三つ目は「遂行機能障害」で、これは判断力、考える力、その場で考えて要領よく、段取り良く行動する能力です。
そして四つ目が、怒りっぽくなって対人関係が壊れるとか、浪費グセがついて金銭管理ができなくなるとか、こだわりが強くなってなかなか生活がスムーズにいかないなどの社会的行動障害です。
こういう症状があると、何が困るのかというと注意障害、記憶障害、遂行機能障害というのは考える力がうまく使えないということなので、仕事がうまくできない、勉強ができない、家事ができないということにつながってきます。社会的行動障害は対人関係がうまくいかなくなってしまうということです。仕事ができなくて、対人関係もうまくいかなければ、もう社会人としてやっていけないですよね。
ですから高次脳機能障害の「障害」とは結局何かというと、社会に適応できなくなることです。社会的不適応っていうのが高次脳機能障害の本質と考えていただいていいと思います。
どこへ相談すればいいか
イズミン 頭を打ったことがあるなどで、こうした症状があっておかしいなと思ったらどうすればいいですか。
フカガワ 厚生労働省の「高次脳機能障害と関連障害に対する支援普及事業」では、各都道府県、政令指定都市・中核市に高次脳機能障害支援拠点機関が設置されています。そこに高次脳機能障害専門の支援コーディネーター(ケースワーカー)が配置されています。
お話してきましたように、「高次脳機能障害」は医学的な問題ではなく、社会的な問題ですので、医学をベースとして医療、福祉制度、さらにそれを利用するための行政サービスという、三つが必要になりますね。
この三つを使いこなさないと高次脳機能障害への対応はできないので、まずその支援コーディネーターにご相談いただく。と、今その人がどういう状況にあって何が必要なのか、病院での診断が必要なのか、福祉施設に行く必要があるのか、あるいは行政の認定が必要なのかといったことを考えてプランを組み立ててくれます。
それに従って病院を受診したり、福祉施設を使ったりしていただくのが良いと思います。病気の症状があるからといって病院に飛び込んでしまうと、専門の医師以外は「わからない」といわれることもあるので、まずは専門の相談員にご相談いただくのがいいと思いますね。
社会が理解するべきこと
イズミン 高次脳機能障害ではさまざまな症状が起こりますが、そういう患者さんたちが一番困っていることは何ですか。
フカガワ 前回お話した通り、なかなか社会に理解されない、理解されないので社会から疎外されて弾き出されてしまう、社会的不適応の状態に陥って生活がままならない、といったことですね。だから、生活の自立ができない方も多い。彼らがどうやって社会の中で自立して生きていくか、それを支えていくのがこの制度になります。
イズミン われわれが、そういう障害を抱えた方に対してできることがあるとしたらどんなことですか。
フカガワ 社会が理解することです。典型的な例としては、高次脳機能障害の方っていうのは聴覚過敏の方が多いのですが、復職の際に、オフィスに行って仕事しようと思うとうるさくて集中できない。個室に移してあげればできるんですけど、それは物理的に難しいことがおおい。ではどうするかというと、耳栓やノイズキャンセリングのイヤホンを使えば集中して仕事ができるので大丈夫なのです。ここで大事なことは、職場が耳栓やイヤホンを認めるかどうかです。認めない職場も少なくないのが実情で、社会の理解が得られない、とはこのような事象です。
シノハラ なるほど、だからわれわれはその障害を理解して、この方は耳栓さえすれば普通に仕事ができるんだということを理解して、職場のみんなで、その方が仕事をしやすい環境を作っていくのが大事ということですね。
フカガワ われわれが職場に対して環境設定として、この方はこれがあれば仕事ができますよ、ここを整えていただくとできますよとアプローチをしていくので、それを理解して環境設定をしていただくと、もうスムーズにお仕事ができますね。
イズミン だれもが、いつどこで事故などで頭を打って、そのような立場になるかわかりません。相互に理解し、許容し合って、社会参加できて、ともに暮らしていける社会になるといいですね。
ゲスト紹介
深川和利(ふかがわ・かずとし)
大同病院 高次脳機能障害センター長、脳神経内科医。2006年の制度創設時から、名古屋市総合リハビリテーションセンター高次脳機能障害支援部にて、多くの患者さんとともにそれぞれのハッピーな人生をめざしてきた。2018年より大同病院で勤務。
「50シーンイラストでわかる高次脳機能障害『解体新書』」(メディカ出版 2011年)など著書多数。