見出し画像

「FF外から失礼します」について

匿名SNS、特にTwitterの中に「身内」と言う概念を持ち込んだ人っていったい誰なんでしょう?
いや、「身内」概念だけならまだいいんです。しかし、相互フォローをしていない人に向かって話しかけたいとき、自分の側に敵意がない事を証明するためには、「FF外から失礼します」なんて言ういかにも社交辞令なワンクッションを挟まなければならない、みたいな、まるで現実世界でのまどろっこしい人間関係の暗黙の了解みたいなものをTwitterの中にまでわざわざ持ってきた大戦犯っていったい誰なんでしょう。いつ頃からこんなつまらない不文律が出来てしまったんでしょう。
まず僕は一つ、Twitter様の規約やポリシーにすら書いていないような、まったく明文化されていないようなTwitter村自治規則みたいなものを勝手に決めるような事は、一般的にインターネットの上では「自治厨」とも呼ばれ、本来は蔑まれるべき行為だった事を皆さんには一つ思い出して貰いたい。これは僕の持つ特性、もしくは頭の病気かもしれませんが、の内の一つであるASDが災いして、他の皆さんとは違う認識をしてしまっているだけなのかもしれませんが、人と人との関わりの中でいつの間にか決まってしまったような暗黙の了解は、その社会全体をより閉鎖的、排他的なものにしてしまい、その暗黙の了解が社会により強い拘束力を持てば持つだけ、その傾向はより強まるものだと勝手に思っていますので、今のTwitter社会全体でそのような風潮がはびこっている事に関しては、そこにいる人や文化にとっても、あまり望ましくないように思えます。
そもそも、顔も名前も分からない、匿名を前提としたSNSの空間の中では、コミュニケーションをする人間の間に起きるしがらみみたいな物は最小限に抑えられるべきであって、前に書いたような人と人との関わりを制限するような不文律はまったく無視されるようでなくてはならないと思いますし、匿名SNSが匿名である長所だって、ネームバリューや実社会の地位を無視した無礼講の議論が出来る、と言うような面もあるにはありますが、主としてはやっぱりそこにあるはずです。要するに、匿名SNSでのコミュニケーションは、そのプラットフォームでの規約や法律を除けば、他人が決めたどんなローカルルールにも縛られず、自由であるべきなんです。
そもそも匿名SNSが出始めたばかりの頃、それらを肯定する人たちの謳い文句と言えば、「日本中、世界中の人たちと、垣根なく自由に繋がれる」みたいな文言が大半だったはずです。いや実際、システムとしては垣根なく繋がる事が出来ます。
が、結局僕らはTwitterで現実世界と同じように、FFに名前を変えた「身内」を作り、FF文化で外の人間を「身内」コミュニティから排し、FFの中に引きこもってしまっている人も少なくありません。たまにバズったツイートがFFの垣根を超えてきて、そこの引用リツイートやリプライでのみ、FFの垣根を超えたコミュニケーションが交わされますが、それでも大半のユーザーのツイートは身内、FFの中で反響し、それでコミュニケーションが終わってしまいます。これでは結局Twitterの世界は現実世界とそう変わらない、いやむしろ現実世界を劣化させたような粗悪なコミュニケーションの舞台にしかなり得ません。人は身内同士で言葉を交わし、外の人間を排除し、僕みたいなASDはTwitterでもやっぱり身内に入れず孤立する。
結局どういう事かと言いますと、「FF」を軸にして構成された、Twitterの上で生まれた新しい身内文化は、匿名SNSと言うTwitterのプラットフォームが持つ可能性を、大幅に狭めてしまっている、そう思えてならないんです。

酷い文章かもしれませんが、noteを書くのは初めてなので大目に見て下さい。

いいなと思ったら応援しよう!