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バックミラーに映る一つの季節(セゾン)

「怒ってますか?」
部下が僕に尋ねる。
「なんで?」
「ミスをしたので、なのに笑顔でいてくださるのは配慮かと」
僕は、彼の質問の意図を測りかねた。
「君がミスをしたのに、僕が怒るの?」
「先輩の成績に響くので」
なるほど、意味がわかった。
「別に怒らないよ。笑顔なのは、ほら、癖かな」
僕は、病床にいた時の、祖父を思い出した。
意識がないのに、僕の名前だけをはっきり叫んで、小声で耳打ちをした。
「大成する」
僕は、祖父の予言通りに生きられただろうか。
人に好かれることが、人に怒鳴り、怒らないことが結果として、人生の成功をもたらすと僕に説いた彼の予言通りの人生を進められているだろうか。

僕には、愛人もおらず、家も車も持っていない。その上、彼女もいないし、友達も少ない。
それでも、あの人のように、大成しようと思う。

そのためには、あまりにも時間が少ない。
夢を追う?社会を良くする?
結果として、それができればいいけれど、それを追ってる時間もない。
オフィスビルそれぞれの真上に取り付けられた航空障害灯が光る。
規則的な点滅は、僕の生命とリンクしていると思う。
そう、残り時間があまりに少ない。

僕は、彼女と別れた。
彼女は車と家を持っていった。
僕は、幸せな思い出を心に持った。
費やしたコストについて考量すると、おそらく僕の方がパフォーマンスがよかった。
つまり、若くて可愛い女の子と遊ぶために、数億程度のお駄賃を渡すだけで済んだ。
一生分遊べた、楽しめたということだ。

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「恋はした方の負け」
なんていうけれど、実は、
「恋をして、得をするのは、そのどちらであるか終わってみるまでわからない」
のだ。

こんなことをいうと、敬愛する宮台真司先生に怒られるが、しかし、恋とは貨幣的価値で測れない無尽蔵の幸せと哀愁を私たちに与えてくれる。
幸せも悲しみもコンビニに売っていない資本主義で、それを得ようとする時、例えば、恋をするくらいのことでなければ、それを得ることができない。

ビルの上から幹線道路を眺める。
テールランプと想像上のクラクションがなる。
皆、生き急いでいる。
そう、皆、人生の残り時間の少なさに、思いのほかの少なさに焦っている。
人生100年時代。
しかし、人は明日死ぬかもしれないし、60年後に死ぬかもしれない。
けれども、平等に死がやってくる以上、僕らは緩やかに急いで生きなければならない。
それは、白鳥の動きに似ているのかもしれない。

葬式で発覚する生前贈与、遺留分を無効化するほどの贈与と遺贈の遺言書。
入れ込まれる三途の川の渡し賃。
泣きながら、スピーチする友達。
親戚といがみ合いながら、香典を置いていく高そうな服を纏った愛人たち。
こじんまりとなんて生きたくないし、死んで行きたくない。

そんなことを思いながら、僕は今日も管理コンソールの画面と資料を突き合わせている。


休みを作って美味しいものでも食べに行こう。

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