9月11日、心臓捕らえるまで5m。
しっかり休んだので、その分挽回しよう。
そう意気込んでいたのだけれど、いやはや、想像以上に身体は動かない。
ダルさに慣れてるんじゃないかと何度も疑ってみるが、なんとも心底疲れ切ってる感じだ。
良く言えば、新陳代謝が良く
悪く言えば、重圧に押し潰される手前ってところか。
ともあれ、未だミュンヘンを捕らえきれていない。
Heartに刺さる言葉や歌は、やはり言語の壁に阻まれるのか?などとやや不安も視界をよぎる。
まぁ、能書きは良いからさっさと始めろって話で。
さっそくお昼から路上LIVEしに行った。
行ったは良いが、さっそく止められた。
なんでもここでやるのにライセンスがいるらしい。
仕方がないので、なくなく場所を変えてやってみるが、、、
いやはや、暗雲立ち籠めるとはまさしくコレで。
何をどうすればいいんやら。って感じ。
チェコとは大きくやりようが異なる。
国が違うという点で、大きくルールの壁が道を阻んでいた。
なんだか、チェコよりも当たり前にこんなパフォーマーを見る。
同じパフォーマーと言えばそうなのだが、チェコの雰囲気とは何か違う。
街中見ても、高齢者や、身体に障害を持ってる人の物乞いが極めて多かった。
チェコでは、高齢者ってほどでもないおっさんやまだまだ生活できそうな若い層の物乞い(と言っても30代後半ぐらいの)が多かった。
ドイツは発展している分、その発展に乗り遅れた人たちの亡骸が、道端に転がっているような
そんな気がした。
当たり前のようにゴミ箱をあさる人や、缶を片手に堂々と物乞いする人。
あえて、それに視点を向けるならば
その行為自体にどんな意味があるのか?を知りたくなるのは意地が悪いってもんなのだろうか。
いずれにしても、またさっきの道で路上LIVEすることにした。
さっきは、教会やショッピングモールに近すぎたから止められたのだと思った。
ので、かなり入り口の方までやってきて、そこで歌を始めた。
やはり日本語での歌は反応はあるが、すぐに通り過ぎてしまう。
大きな声で歌うもんで、人の目にはつきやすいところは良いんだけどね。
見ていた30代のおじさんがビールを飲もうと奢ってくれた。
彼は言っていた。
『もうほとんどの若者はROCKやパンクなんて聞きやしないよ。大方エレクトロなクラブミュージックが好まれるんだ』
なんとなくその言葉は理解できた。
日本だって、ROCKとはどんどん遠ざかる気がしなくもない。
なんつーか、オレはヨーロッパにこそ、そのROCKの魂は宿ってると思ってた。
たまたまそれがドイツには濃く残ってなかっただけで。
ROCKってのは都合の良い言葉だ。
なんでも反発心だけで、綺麗になぞらえて、人はそれをロックだねぇ。なんて言う。
それか、ウイスキーを氷で割って飲む。とかそんな感じだ。
それそのものを不愉快とは思わないが、時代は1人の叫びなんて必要としてないのかもしれない。
なんて思った。
ある種の平和ボケ。
言いたい放題だが、それぐらい心と心の距離は隔離されてしまったように思えた。
言語の違いとか、それを越えるほどにね。
さて、ほんでやっぱりというか、止められた。
今度こそ確実に理解した。
旅人は、許可証を10€払って手に入れなければならない。
なんとも難儀だ。
どちらにしても、良い時間だったのでそこでLIVEは終了した。
お金稼げた。と安堵する反面
どれほどの人が心臓をすり抜けて、反対側の壁まで言葉が貼り付いていたのだろうか。と思った。
単にネガティブな意味ではない。
そもそも歌に、意味なんて求めるべきではないのだろう。
自分の想いに価値なんてつけるべきでもないのだろう。
それはいわゆる『ただのエゴ』だから。
しかし、ただのエゴで、道端でワケも分からぬ言語を叫び、ギターを鳴らして、あげくは警察に演奏を止めろと言われる。
そうまでしてでもつむいできた、誰かの作った歌に
僕は救われた。
誰かが泣き叫んでも届かなかった声を、歌がその思いを地元山形まで運んだ。
その事実を否定されたくない。
誰かのまぎれもないエゴが、確かに僕の心臓を貫き、未だに支えとなってここにある。
ある人は言った。
歌じゃ世界は救えない事も分かってる。
それでも歌で救われた事実を忘れられない。
だから歌うことは辞めない。
必要とされないならそれでいい。
なんて思わない。
これはエゴだ。とわかった上でも突き通していたい。
誰かのエゴで、誰かが煙たく思う傍ら、今にも吐血しそうな心臓を支える歌があると信じて
ああもうクソほどくだらない話なんだけど。
どうでもいいし、たかが言葉や歌でって話ではあるんだけど
それじゃあ意味を求めるのはバカだから辞めとけって言われて、分かりました。僕はクールにスマートに生きます。
って、
言えるばかりが人生じゃないと
しっかり僕は言葉で残していきたいね。
いつか人が、音楽に言葉はいらない。とのたまったとして、
そんな言葉を省いた歌が、絶賛されたとして
それでも、誰かが魂込めて作った歌詞に心打たれた僕は
言葉を選び、歌を歌うことは辞めない。
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