令和3年1月20日、徹底的に面白くならないの話。
本日で新年を迎えて20日。
みなさんいかがお過ごしでしょうか。
昨年も色々とあったことは間違いありませんが、昨今は兎にも角にも、コロナコロナです。
自分も走り出してはコケ、走り出してはコケさせられ、の繰り返しではや20日も経っておりました。
でも、どんなに蹲っても時間の流れは止まってくれないですから…。
時間ってヤツぁ、残酷なもんでして。
だから、毎日をひたすらに駆け抜けていくんだろうなんて思っておりますが、
最近の生活はとにかくメリハリがない。
ただひたすら消費するだけの毎日が、昨日も一昨日も、そのまた前からずーーーっとです。
それもこれも、ルーティン化された毎日が日々を汚しているからなのでしょうか。
日々同じことを繰り返す事に、あまりまわりは頓着しないようでして。
疲弊するは我が心のみという悲しい有様。
これではいかん、いかんぞと、
何が生きる理由なるかを考えるよりほかにない。
と、思ったらギターを握っておりました。
最近は毎日ギターを弾いては考え、ピッキングやストロークに目を向けて、感覚で違いを探りながら、弾いてはコードを書き、弾いてはコードを書き、というのを毎日やっています。
なんなんだか、こーゆー地味な積み重ねなんぞは人生で遠ざけてきたタチなのですが、
いやはや、いやはや、
生活の繰り返しに根付かせるというのはバカにならないなぁと感じています。
今日からランニングを毎日やる事にしました。
鍛錬というよりも、日課レベルの。
元々ちょこちょこ走ってはいたんですが、なんというか、日々の焦燥と無力感に苛まれており、難しく考えてしまう癖がついています。
なんとも、ばかばかしいのです。
今の生活は身体に合っておりません。
なんというか、ラクショー。
ラクショーであることを周りからプレッシャーに似た何かを押しつけられるような。
奥歯がうまく噛み締められないような疲弊感を感じているのです。
そんなこんなで、睡眠時間を増やしました。
ストレス、日々の悩み、憤り、それらはどうしようもないものばかりが募っているのです。
悩みのない人間はいないというけれど、そんな中で、自分はどう生きるか。
つい最近も、人の別れをテーマに色々考えてしまい、疲弊してしまったのです。
やめましょう。
考えるのも無駄だから。
別れを惜しむことはあっても、別れによって自分に何か出来たのではないか?などという思いに駆られるのは。
それはどうしようもなく現実を直視できない歯痒い思想です。
ある意味いたみです。
その苦しみから抜け出すには、兎にも角にも、突き抜けてゆくしかない。
日々を、日々の中の充足感を。
駆け抜けて性春ってか。
終わることのない恋の歌で
激しく燃える恋の歌で
あなたがいてくれるのなら、と思える出会いは彼方なのが現在とは、認識するだけでも疲れます。
疲れます。
最近、とくに本や漫画を読むようにしています。
知識だけでなく思想を知る。
考え方を知る。戦い方を知る。
そしてあがく。足掻く手段、その強かさを認める。
遠く、遠くにある目的のために。
もう遥か彼方にある星はとっくに燃え尽きて落ちてしまったかもしれない。
そんなこと、わざわざ考えることなんてないけども。
ふらふらと魂だけが、肉体から浮かんでいるような。
地に足のつかない、行き場のない心が、
これが僕の日常だ。と嘘だと思いたい日常が。
日々の有り様を削っていくのです。
弱いってのは誰かに頼れる強さを持っていて、また、強いってのは、誰かに頼らない弱さを持っているのだと、ほとほと痛感します。
これは痛みです。
痛みのない人間は、多分駄文と思えてくるでしょう。
これは痛み。
相当抉られてなきゃ理解することも遠ざける。
そんな痛みです。
ともあれ、眠ることはした方が良いです。
眠れるならまだまだ、未来は明るい。
僕はほんとに自分でなんとかするけど、そうじゃないなんとかしたいのにできない人にも届く言葉を。
明日も捻出する旅をする。
おやすみなさい。