令和2年12月25日、ただしく味う
12月25日。
10歳までは、起きて感情が溢れるような朝が来た。
ブロック、ガオガイガー(に出てくるロボット)、プラレール、絵本、などなど。
クリスマスといえばでサンタ(いちおうサンタって事にしとく)にもらったものはたくさんある。
俺としては物心ついてからも、サンタ制度をあまり理解しておらず、誰かにちゃんと頼み事をしたのも10歳を境にだった気がするし、
まぁ、アレ食べたいだの、これ食べたいだの言わずとも美味いご飯が食卓に並ぶというだけですでに裕福な家に育ったのかもしれない。
10歳を境に、クリスマスプレゼントは親に買ってもらっていた(笑)
友達に聞けば、クリスマスプレゼントはお金だった(確か当時小学四年生で5000円とかだった気がする🤔)とか、ゲームとゲームソフトだった!
なんて話が飛び交うもんだが、
子供の話ってのは今思えば残酷だなぁなんて考える。
プレゼント🎁貰った話に参加してない子供(ってか同級生か)もいたはずなので、ケンカしたりバカにされる事はなかったかもしれないが、
子供ながらに格差を感じていたのも事実だ。
誰もが等しくプレゼントをもらえるような日になれたら、マジでハッピーなのにな、など考えている。
クリスマスにまつわる貧しさバナシなんてのはいつの世も尽きない。
だから、プレゼントをそもそも自慢したこともなければ、友達に話した記憶も実はない。
ちょっと不思議だな〜というか、面白いなぁと思えたのは
そうして、親に買ってもらった(あ、、(笑))プレゼント達をある意味共有して、
ってか友達んちで勝手にゲームしたりなんだりして過ごしてた幼少期を思うと、俺は本当に友達の言うような「ガキ大将」だったのか?🤔
なんて考えていて、
まぁ、個人的には人ができたいいやつらばっかりだったなぁなど思っている。
地元の友だちの話ね。
クリスマスプレゼントにかこつけずとも、年末となればガキの時分、変にウキウキするもんだ。
小5を過ぎると、部活やら、冬のスポーツに明け暮れたり、習字に通わされたりなどしてるうちに、心から楽しむという気持ちは、いつのまにか外を降りしきる雪のように、勝手に積もって気付くことなく溶けてった。
そして、10代を過ごして、人を思う気持ちとか、祝い事みたいな空気は完全にスレていった。
ほんでほんで、26歳。
クリスマスは誰と過ごすのが正解なの?みたいな質問に
「家族だよ。」
と返ってきたので、あー、やっぱりね、と思った。
僕もそう思うし、恋人と過ごすのが祝い事な感じが昔からしなかった。
なんつーか、それだとあまり心がワクワクしないっつーか、
幸せを噛み締められない。みたいな気がしている。
そもそも聖教徒でもない我々が、やれクリスマスデートだの、プレゼントは4.5万、時に10万越えだなんて話を聞かされたところで全然面白くもなんともない。
高価なプレゼントを貰う場。と化していて、日本のハロウィンみを感じて気色悪い。
結局そこに幸せを感じられないんなら、高価なお金を使う価値も、時間も、ただただむなしいだけだ。
まぁ、これは完全に個人的な感想にすぎないから、そうじゃないよ。って人ももちろんいるのだろう。
でも多分これからも高級な飯とか特にいらんし。
プレゼントは欲しいけど、相手の財布を撃破するほどの高すぎるモノは逆に引くし、
ほどほどで、ほどほどの幸せがむしろちょうどよく噛み締められる。
僕は昨日シェアハウスにお菓子をプレゼントし、チキンを焼いて、ピザ🍕を焼いて、自分が食いたいものしか食わなかった。
結局それでいいんだろうと思う。
自分の周りで、アレやりたい、コレやりたいがあるのならば、できる範囲で叶えてあげたい。
のがまぁ基本的なスタンスで、
僕はピザ食って、コーラ飲めりゃそれで万々歳なので。
今年は例年と全く違い、人に何かをあげるクリスマスだったのだ。
非常に面白かった。
大したこと1つもしていない。
ただ、ちょっと良いお菓子を配って、肉焼いて、ってそんだけだ。
そんだけだけど、とても心が満たされた。
昨日だけは悪夢を見なかった。
いつだっけか、読んだ本に書いてあったけど、
人に3つあげたら、人から1つ貰える。
そしたらまた3つあげなさい。って
その時は、いまいちよく分からなかったけど、なんとなく今はわかるなぁ。
コレだけで十分って言うのをちゃんと噛み締めればいいんだろうなぁ。
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