noteを始めてみる
これまでの人生で、ブログや日記を書くという経験をせずに生きてきた。
なんなら学生時代、友人がmixiやアメブロで日記を書いているのを横目で見て「あんな一生消えないデジタルタトゥーを自分で残すなんてもの好きだな」とさえ思っていた。
なぜそんな自分がnoteを始めたのか。
一番の理由は朝井リョウさんのエッセイ本を読んだことだろう。
朝井リョウさんのエッセイ3部作、めちゃくちゃに面白いのでぜひ読んだことない人は読んでいただきたいのだが、この3本の魅力は「等身大」であることだと思う。
もちろん朝井リョウさんがめちゃくちゃユーモアにあふれる方でなのでそれゆえこんなに面白くなっているのだろうが、とにかく過去起きたこと・その時感じたことなどをかっこつけることなく等身大で書き連ねていると感じた。(とくに肛門記がお気に入り)
それを読んだときに、僕はとても羨ましいと思った。
僕は社会人になり、日々を消費するように生きていて、その時何を思っていたかなんてもう振り返っても思い出せない。
けれど当時のことを文章として書き残すことで、写真には残すことのできない心の機微や感情の起伏を読み返すことができる。そしてあまつさえ、その文章をほかの人が読むことで感情の共有ができるなんて。
齢28歳になって、ようやく学生時代に友人が日記を公開していた理由が分かったような気がした。彼らは今さらになって僕が気づいたことを、きっとずっと前から分かっていたんだろう。
noteを始めるにあたり、当時の学友たちは何を思っていたのか、学友たちのアメブロを覗いてみた。
「まじでうちら一生友達」「友情不滅」「マックでバーガー10個頼んでパーティー、さいこうすぎる」「彼氏と休日デート♡ずっといっしょ」
・・・なんか恥ずかしい!もうやめて!と秒でページを閉じた。
一度投稿したら最後、ネットの海を漂うということを肝に銘じて投稿していこうと思う。