我が家のトイレ
我が家は二階建て一軒家である。
家族構成は妻、娘二人、そして僕の4人だ。
二階建てというところから察していただける人も多いかと思うが、我が家には二つのトイレがある。
勿論、一階と二階にそれぞれひとつずつだ。
いわゆる、普通の一軒家である。
ただ一つ、我が家は「家族を二つに分けるとしたら」の定義が女か男か、で分けられるため、ここは普通ではないかもしれない。
僕と妻とで出かけるとする、すると娘たちは妻とセットになるので、おのずと1対3の布陣、男子と女子に分けられることとなる。これが我が家のノーマルである。
そして、我が家のトイレもこの例外ではない。
そう、我が家には「女子トイレ」「男子トイレ」がある。
女子軍はよくリビングダイニングで生活をしているので、一階のトイレを使っている。
一方男子軍は余った二階のトイレを使うのだ。
それぞれメリット・デメリットがある、具体例を挙げ説明したいと思う。
僕は男子であるため、男子目線でメリット・デメリットを示そうと思う。
女子軍は3人で一つのトイレを使わねばならない。そのため、出かけ間際においては、待ち行列が発生するのは日常茶飯事である。
一方、男子軍は人数が非常に少なく1名であり、トイレを専有することができる。
いつでも自由に解放(利用)することができるのだ。
非常に魅力のあるメリットと言えよう。
しかしながら、お出かけ間際にトイレに行きたくなるとする。
当然二階に行くわけだが、これが危機的状況下の場合もあるのだ。
その場合は、やはり女子軍使用のトイレを使いたくなる。
この点について僕は、人間の尊厳にも関わる、非常に重要な課題であると感じた。
だから、こっそり一度、下のトイレを使おうと試みた。
ところが、ガーディアン姉妹に見つかり、激怒、「男子は上に行って!」と強い口調で叱責されて以来、使う事は恐ろしくできなくなった。
しかし、当然人間としての尊厳を失う「漏らす」行為もできるはずなく二階に駆け上った。
その時は不満爆発であり、どの様に組合問題として取り上げるか、その戦術ばかり考えていた。
しかし、よくよく考えれば、それは間違っていたかの様に思えてきた。
当たり前の話だが、世間一般として、法律で取り決めされている男女トイレの区分けがある。
それを犯す事は流石の僕もできかねる。
法令遵守は人間としての基本であり、それを犯す事が「犯罪」と言われるのだ。
つまりどんな時であっても、男女トイレが存在する限りは僕は二階に走るしかない。そういうことだ。
この間の苦痛はデメリット以外何者でもないだろう。腹の痛みの到来は僕に死の宣告を与えるに等しい。
だから、僕は一度抗議したことがあった。
僕のトイレを差し出す、その代わりにそちらのトイレを差し出す、双方が利益を得るための交渉である。
いわゆる、トイレの共用化だ。
今の時代にあった渋谷のトイレみたいなもんだ。
これだけLGBTQが叫ばれる世の中、男女区別をする家があることが、正しいはずがない、そう言った趣旨の講義だ。
しかし、あえなく「二階のトイレ汚いからすごいやだ」と言われ、多様性とは違う論点で論破された。
結果あえなく交渉は決裂、今まで通りと体裁を保った状況である。
そこで僕は更に考えた。
そもそもが、マイノリティ側に環境面を移行する、寄せて考える、そのこともマジョリティに対する不満や不平等を生む種になるのかもしれない、と。
そう考えると問題の本質は根深い、そう思った。
男女公平は難しい。
いや、人の感情がある限り、そこに答えはないかもしれない。
言いたいことは以上だ。
おいおい、結局何が言いたいのか?
それは僕にもわからない。
あてなく文字を書いた結果がこれだ。
反省はしているが後悔はしていない。
今年も良い一年だった。
また来年。と言いつつ今回のように気まぐれに何かを書くかもしれない。
その時はまた暖かく見守ってほしい。
トイレ問題について考えがまとまり次第追ってまた書き記したいと思う。