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情けなさや切なさを小説風に書いたらこうなった。
最近、慢性ソファ寝落症候群を発症して、毎晩のようにソファに座るといつの間にか気絶する。
そして大体深夜1時〜2時辺りに覚醒して朝方になって2度寝。
睡眠の質は最悪。
音楽機材以外何もないような家だから、悪しき習慣との縁を断ち切るためにもこの際いっそソファすらも撤去してしまおうか。
でもソファをリビングから撤去したら小さなダイニングテーブルと椅子しか残らないから引越し前の部屋並だ。
ソファとお別れしたとしても、いなくなったことに慣れていまえばなんともなくなる。
きっとそうだ。
きっとそう...
そう言い聞かせないと悲しみに襲われて自分を見失いそうだから。
とか思いながらソファに別れを切り出せない。
荷物は少ない方が断然楽。
引っ越すときも片付ける時も。
物なんて増えれば増えるほど執着にまみれていつか身動きが取りずらくなる。
なんて言うくせに中古マンションを買ってリフォームして、無駄にスペースだけ持て余した箱に住んでいる。
本来はある目的のために購入したのだが、自分の怠惰のせいで盛大に失敗をした。
家を買うなんて最上位の執着なのに。
しかも今では居住範囲は家の面積の半分に満たない程度で、主にキッチン、ソファ、トイレ、自室、寝室。
リビングのほとんどは空きスペース。
さらに使ってない部屋が一つ。
たまに家のどこかの隙間から私の身を案じて小さいクモが侵入してくる。
健気に餌のない部屋の隅にクモの巣を作ってカラカラに干からびてるのを見つけると、無性に切なくなる。
生きようと精一杯餌が引っ掛かるのを待っていたに違いない。
だから生きてる時は、クモの恩返しを期待して無駄に殺生せず逃すようにしている。
一度だけ逃したクモがこっちを向いてから去っていったのを見た時、涙がこぼれそうになった。
妙にノスタルジックな気分になってしまうのは季節柄仕方がないのかもしれない。
あの人は元気にしているだろうか。
どんなことでもあの時あーしてればよかったとかこーしてればよかったとか、悔やんでもどうにもならないことが多すぎる。
食わず嫌いであまり聴かなかったアーティストの曲がやけに胸にグサグサと刺さるもんだから、今やそのアーティストの曲をリピートし続けている。
歌詞にしてもメロディにしてもどうやら自分の心境や経験と符合しているようだ。
曲を聴きながら言いようのない罪悪感に駆られ、懺悔するかのごとく思い出を巡らせては遠い目をしてしまう。
『ごめん』
気の抜けたような体を電車に乗せて、家に帰ればアルコールでちょっとした現実逃避。
「何やってるんだろうな」と我ながら呆れてしまう。
そんなことを繰り返して何年経過したのか。
いつからか1年があまりにも早く、このまま何もなく年老いていくのかと半ば諦めたような感覚に浸っては自分の非力さをどうにか肯定しようともがく。
何かにつけて都合の良い理由を盾に後回しにして、堕落や負け癖を自ら呼び寄せて背負い込んだ挙句猫背になっている。
"これではいけない"
メタ認知能力が高いわけではないが、心のどこかでそんな危機感に襲われる。
専門学校時代に描いていた純粋な夢や憧れと、想像している『成功』のために時間も金も費やしてきた。
両親や友人に負い目を感じながら不甲斐なさを呪いたくなるが、今更泣き言を言おうと進むしかない。
何が答えかわからないとしても、どうやら歩き続けることだけでしか何も証明できないようだ。
いつかのサヨナラも持て余した家のスペースも干からびたクモでさえも、全て歩くための養分になり得る。
おそらく無駄なものはない。
無駄にしているのは自分なのだ。
そうだ、チャンスはたくさんあった。
いつまでも燻ってはいられない。
いい加減、憂うだけの自分とは決別しなければ。
そんなことを考えながら未練がましく、またソファにもたれかかっている。