私と父親との野球記録(小学生編)
ちょっとたまには日記的な記事でも書きます。
全て実話であり無料記事ですがよかったと思ったら励みになりますので投げ銭¥100お願いします!では、本題にGO!
野球との出会い
【お父さん!俺野球のチーム入りたい】
それは、かなり唐突な事でした。
私が、小学1年生になってすぐ、近所の
1個歳上の先輩が少年野球チームに
所属していて、そのユニホーム姿に
憧れを抱き野球をしたいと言うか
あのユニホームが着たい一心で
お父さんにお願いした。
お父さんからの返事はいつも【ダメだ!】
この一点張りで野球をさせて貰えなかった。
しかしある時…
【お前…絶対続けると約束できるか?】
そう言い残すと私の答えを聞く前にそっと何かを取り出す。
そう。私がずっと着たがってた少年野球チームのユニホームである。
私は嬉しさのあまり毎日学校が終わってから練習もないのにユニホームを来ていた。
念願の少年野球チーム
先輩が入っていた少年野球チームに入り
毎週土日とチームの練習に参加していたが
この時子供ながらに何かを悟った…
【えっ?なにこれ…しんどいし楽しくない…】
それはそうだ。少年野球チームと言うのは、
遊ぶに来てる訳ではなく勝つために練習しているので遊び感覚で入部した私とは訳が違うのだ
これが私の少年野球チームの期待と絶望を味わった時期となる。
ライバルの存在
実は、幼なじみの子と同じタイミングで同じチームに所属していて、彼は保育園の時からスポーツ万能おまけにイケメンと言うスター性がある選手だった。
私はどちらかと言うと、全部が普通…
何かが特別上手いわけでも無ければ、下手でもない。
だから保育園の時から何をしても私の前にはライバルが居た形になる。
そんなライバルの存在が目標でもあり、何より辛い野球の練習を
乗り越える活力にもなった。
勝つ喜び
毎日の練習は、本当に嫌だったが、負けたくない。試合に勝ちたいって
言う気持ちも同じぐらいあった。
私のポジションはセカンドで試合を出る機会が多かった。
私がエラーをして負ける事もあったし、失敗や結果が出ずに悩む時期も
あった。
もう既にその時は、入団当時の様な考えは消えどちらかと言うと
野球=チームワーク私の1ミスで皆に迷惑がかかるんだ
と言う考えに変わっていった。
大人の都合で
私も小学校5年生になっていた。
5・6年生は少年野球チームでも主力になり、
私も幼なじみもレギュラーを勝ち取れるほどの実力をつけていた。
そして、それは急に訪れた。
『すまん。DAI今通ってる少年野球チームを辞めなくてはいけない』
お父さんが急に私に少年野球退部を告げた。
しかも、その時は私含め5名が少年野球チームを退部する事になった。
その原因は、親達と監督とのトラブルだと思うんだが詳細までは
子供の私たちには教えてもらう事もなく言われるままに退部する事になった。
しかし、親達は今まで私たちが必死に練習してきて、いよいよ主力として
試合が出れるときに退部させた事に罪悪感を感じたのか他のクラブチームを探しながら土日は、私のお父さんがコーチを務め野球の練習を行っていた。
そう、実は私のお父さんは現役の時プロに目をつけてもらえるほどの
プレイヤーだったらしく、普段はとても優しいのだが野球となれば
とても厳しいお父さんだった。
運命の出会い
いつも通り河川敷で5人で野球の練習をしている時だった。
男『あのーすみません。私は○○チームの監督をやらさせてもらっているものです。私のチームも人数が足りずよければ合併して1つのチームを作りませんか?』
そう言うと親達は私たちを含めて話し合いが始まった。子供達の意見は、試合をしたい!人数が足りないからいつも練習ばっかりで嫌だって言うのが本性だったので合併に対しては賛成だった。
しかし、少し親連中には悩む点が一つあった。
それは、こちら側は少年野球連盟に加入しておらず、相手側は登録は終えていることからどちらかと言うと私たちが向こうのチームに加入すると言う事だ。加入に関して悩んでる訳ではなく、少年野球でも、軟式チーム・硬式チームとあり、私たちがやってきたのは、軟式チーム相手側は硬式チームである。
軟式と硬式の違い
大きく違うのは、ボールの種類である。
軟式はどちらかと言うと野球入門編である。ボールもゴム製であり、
小学生の様な、まだ体が出来上がっていない子供達が気軽にプレイできる
事からほとんどの子供達は軟式ボールから基本を習う事が多いだろう。
それとは違い硬式ボールは簡単に言えば『鉄球』軟式のゴム製とは違い
硬くそして重たい。体が出来上がってない小学生には負担が大きく
打球が体に当たっただけでまるで、大砲に撃ち抜かれた様な感覚だ!笑
無邪気な少年の心
親達が私たちの事を考えて悩んでくれてるのもわかってたのですが、正直
子供の私たちはそんな事はどうでも良かった。
その気持ちが伝わったのか親達は悩むのを辞めて硬式クラブチームの
入団が決まった。
レベルの違い
入団して私たちは硬式の練習に圧倒していた。
正直、軟式チームと比べても非常にレベルが高く
軟式ボールに慣れている私たちは硬式ボールに慣れるだけで
精一杯だった。。。
とにかく、ボールが重いし硬い!バッティングも芯を外せば身体中に
電撃が走るほどだった。
しかし、意識の高いメンバーで練習するのは悪くなく土日は泥まみれになりながら陽が落ちても練習していた。
コーチと生徒
入団する前に自分のお父さんがコーチをしてた経緯から硬式チーム
でも引き続きコーチを引き受ける事になった。
正直自分の親がコーチをしてるのはとても嫌で、自分の親が
他の子供に対して怒っている姿を見るのが子供ながらに
申し訳なさを感じた。
しかし、皆は私が思っている以上に父親を信頼しており、
そんな野球以外の感情を気にしていたのは私だけだったのである。
父親にも(ただ、野球だけをやれ!)いつも言葉足らずの父親が
放った一言でモヤモヤしていた感情は一瞬で晴れて行った。
全国大会
私も6年生になり大きな大会にエントリーする事ができた。
今までの大会は大きくても兵庫県の大会で、大体は私が住む姫路市だけの
大会が一般でしたが、今回は、日本全国からエントリーされてくるとても規模が大きい大会に参加できる事になった。
開会式もまるで甲子園の様な規模で選手達の心境は緊張もありながら期待も
大きかった。
そして何より私たちはこの大会にかける思いがとても強かったのだ。
私たちが入部する前から部員数の不足に悩んでいて、私たち5人が入って全部員が12名。そのうち6年生が9名だった事から私たちが卒部したらこのチーム自体廃部を決意してたのは子供達も把握していたので監督・コーチ・親・子供含め本当に1つになってる感じが伝わり士気はかなり高まっていた。試合も順調に進み、ついにベスト4まで上り詰めることができた。
そして準決勝・・・私は3番セカンドでスタメン入りした。
正直、チーム自体もそこそこ強かった為地区大会とかの優勝は何度も経験
していたものの全国大会の舞台は、また違った緊張感があり
試合前は誰も喋れなくなるほど固まっていた・・・
そしてなにより、監督が仕事の為に代理で父親が監督となって
指揮をとることになっていたのだ。
そして準決勝の相手は、何度か大会でも顔合わせしてる関西のチームだった。特徴としてはバッティングよりピッチャーが有名で、小学生離れした
速球に私たちの打線が続くことが困難な状況だった。
そして0-0が続き私たちの攻撃。
先頭バッターがヒットで出塁後、盗塁を成功し0アウト2塁。
アナウンスが鳴る・・・
(3番~セカンドDAI~)
もう、正直周りの声、声援など聞こえないほど緊張しており
あっさり2ストライクをとられタイムがかかる・・
私は小走りで父親の所に向かい指示を仰いだ。
父親(今日の晩御飯は焼肉にしようか!)
DAI(は・・・!?)
父親(思いっきり振ってこい!!)
父なりの優しさだった。
私があまりにも緊張しているのでタイムを取り緊張をほぐしてくれたのだ。
私は嬉しさのあまり半泣きになりながらバッターボックスに戻る。
それまで、緊張してて何も聞こえなかった声援もはっきり聞こえ
『打てなくてもいい!次思いっきり振る!』
ピッチャーがモーションに入り投げた・・・・
私はその時の事を鮮明に覚えている。内角高めのクソボールだった。
(カキーーーーン)
感触は悪くない・・・振り切った後ボールを見失っていたが
全員の視線はレフトに集まっていた。
レフトの選手も全力で追いかける・・・
どうだ・・・・
ポトッ
レフトオーバーのヒットとなり、そのままボールはフェンスまで転がっていく。静まりかえっていた球場も一気にボルテージは急上昇!
(走れ走れーー!)(ホームランだー)
もう私はがむしゃらにダイヤモンドを走った・・
間に合え・・・間に合え・・・そう思いながら三塁ベースを蹴った時点でボールも中継へと返ってくる。
そして半分ぐらいに差し掛かった時キャッチャーを確認すると
ボールを捕らえる準備は出来ていた事から余裕でセーフでは
ないと思い私もヘッドスライディングでホームに突っ込んだ・・
結果は・・・
セーフ!!セーフ!!
このランニング2ランが決勝点となり私たちは準決勝と勝ち抜き、
その勢いで全国制覇を達成することができた。
ポーカーフェイスの父親も優勝が決まった瞬間は子供のように喜び
選手と同じように嬉し泣きをしていた姿が今でも忘れられません。
私にとって小学校の野球の思い出はとても壮大なファンタジーのような
思い出でした。いつも一番近くで支えてくれた父親には感謝しかありません。
この記事が好評でしたら中学生編・高校生編と続けていきたいと思いますのでよろしくお願いします。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
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↓↓優勝メダル・その時のホームランボールの画像を張り付けておきます
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