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頑張るというサボり方。
おはようございます。
苦しみに耐え続け、自分の信条に反する理不尽にも異を唱えず、いつかこの状況は変わると願い、そしてそれを試練だと自分に言い聞かせ、成長する為に必要な事だと正当化する。
私にもかつて盲目的に苦労や努力を礼賛し、それを通して自分が何かを得た様な気になっていた頃がありました。
「若いうちの苦労は買ってでもしろ」と言う言葉を真に受けて不毛な苦労を思考停止して続けても、得るものはそれによって失うものに釣り合うとは限りません。
「頑張ると言うサボり方」がこの世にはあります。
より良い解決法や対処法があるかもしれないのに、考えることをやめ、苦境を乗り越えて成長していると言う自己満足を味わう為に、真に成長する機会を放棄する事です。
周囲との摩擦を避けるあまり、自らの意思や良心を押し殺した結果、結局は人を傷つけながら長いものに巻かれて安心して居る。
果たして、それによって得るものは成長と言えるのでしょうか。栄養として貴方の力になるのか、澱として貴方の素晴らしさを濁らせるのかを考えましょう。
自らの言動は自らに必ず返ってきます。
発した言葉や下した判断が、どの様な結果をもたらすのかを考えた上でより良い選択をしましょう。
手段を目的と混同せず、冷静に物事を見つめ、自分の進むべき道を自ら選びましょう。
「人に言われたから」「みんながそうしてるから」、そんな責任転嫁を許すのではなく、主体性を持って自らの歩むべき道を選びましょう。
良い1日を。