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異なる意見。同じ存在。

おはようございます。

物事の解釈は人によって千差万別です。
それぞれが同じ事を願いながら真逆の事をしてしまう。それが私たちの良い点であると同時に悲しい点でもあります。

あらゆる言葉を攻撃だと受け取る人もいれば、
その言葉を大切な何かを守る為に叫んだ人もいて、その叫びを聞きたくなくて耳を塞いだ人の溜息が、舌打ちに聞こえる人もいる。

そんな多種多様な想いが渦巻いている中で、何が正しくて何が悪いかを論じたところで、正解や真実には辿り着けません。そもそもそんなものはないのかも知れません。
誰もが納得するたった一つの答えがあるのではなく、人の数だけ見え方があるだけです。
他者の見え方を否定するのではなく尊重し、共感できる事は共感し、自分の考えと異なる事は違いを認める。
相互理解はまずそのスタートラインに立てるかが大切です。
それが出来なければお互いの意見の潰し合いにしかならず、誰かの意見を間違っていると断罪した瞬間に、自分の意見も間違っているかも知れない一意見に過ぎないという価値に堕ちます。
どちらも正解のない問いに対してそれぞれの立場から見えるものの解釈を言っているだけで、嘘や偽りを言っているのではないという事を理解しなければ、会話が成立せず、会話する意味が有りません。

一方で、「分かりあわなければいけないのか?」という疑問も有ります。「一つの意見に全員をまとめることが正しい」というのも、一つの考え方に過ぎず、それが唯一の答えでは無いという余白を持てるかで、その人の世界観や規模感が決まる様にも思います。

ゴータマシッタールダが言ったとされる「天上天下唯我独尊」という言葉は、「この世で私だけが唯一尊い」という意味ではなく、「あらゆる世界において、私達人間だけが悟りを開くことができ、苦しみから解脱することが出来る尊い存在なのだ」という意味だとする説があります。
自分とそれ以外を分けるのではなく、私達という自分も他者も含めた広い捉え方をする事で、自らの欠点も、他者の長所も全てを内包した人間というスケールで物事を語れる様に思います。

「自分だけが正しくて他の人は全て間違っている」と考えるよりも、「私達は色んな意見を持ちよりながらどこへ辿り着くのかもわからない旅をしているのだ」とおおらかに受け止める事で、この複雑な世の中を理解出来るのかも知れません。
これもまた一意見ですが。

良い1日を。

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