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終わらない夜に思う

願いはいくつかあるよ


ヨタカの人

単純に眠れない子供だった。
ヨタカなんて言葉を知ったのはまだ一桁歳。

他にも要因は多くあるのだろう。
枕や周りの音や、光などなど。
今回はあまりそこには言及しない。

現在精神科、それもとりわけ専門的な外来で
絶妙なバランスで処方されていても
神経が昂って眠れない時がある。

こうして文章を書いていても落ち着かずに
昂るどころか滾って中々眠れない困った性質がある。
迸る思考を切り取る作業は大変で辛い。
それでも必要な作業。

当時、周りの大人は言った。
ヨタカみたいだと。意味は知らなかったけれどね。

暗闇の安心感

夜は静かだ。
昼間のあれやこれや、光・音・匂いなどに刺激の数々から離れて
昼光色のライトだけで狭い家にある本を片っ端から開き
わからない言葉は辞書をひく。子供の頃から今もずっと。

暗闇のずっと先を見ているような
吸い込まれそうな感じと、何もない「安心感」。

ただ、無。
子供の頃からずっと宵闇を見てその暗闇に安心していた。
幼くして身近にあった「死」を投影していたのかもしれない。
怖いものというよりは、安らぎの感覚に近い。

現在も瞑想をするときは漆黒の闇の中で自分を少し離れて見ているような
感じ、思考も感情も闇に沈んでいく、その過程を見送るような。

終わらない夜に

願いは一つだと、とある歌手の書いた詞になってしまうけれども。

朝が来て、今日も生きる。
昼が来て、夕焼けに心の澱のようなものを溶かして。
夜が巡って、今日が終わって。

それもいつか終わりがくる。

現在、朝日を浴びながら寒い冬の道を歩いている。
634タワーを仰ぎ見て時々自分でもよくわからない高揚感を感じながら。

年頃なんだろうか、何よりも時間が大切になった。
お金もあれば困らないけれども、それよりも。
若い頃よりは、今日の締め方を大切にするようになった。

仲良くなったあの人が明日も元気でありますように。
可愛いあの子が夜勤を終えてぐっすり眠れますように。
この街に住む人が幸せでありますように。
僕も幸せでありますように。

祈りでは何も動かせないかもしれないけれど、
若い頃には終わって欲しかった夜に今は願いをのせている。
終わらない夜はないんだよと、あの頃の僕に伝えているのかもしれない。

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