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古いドアを閉めて
例えはなんでも良いのだけれど
新年に目標を立てない
新しい年になったね。
目標があればそれに向けて邁進する、
そういう年があってもいい。
子供の頃から計画倒れになる癖があって
「完成間近で急にやめたくなる」心理が働くのが原因。
自分を知る機会がなかったのも手伝って
無茶な計画を立てることもしばしばだった。
いつの間にか僕の元旦は
「今年も死ななければよしとする、死んでもOK」
そんな目標ともいえないものに変わっていった。
低空飛行で安定も意外と悪くないから。
今年はちょっと違う。
目標は立てていないけれどね。
きっかけはどこにあるかわからない
何が違うかは置いといて。
そうなったきっかけを少しだけ。
去年、47歳にして性搾取を半年以上受けた。
年甲斐もなく。
心身ともにボロボロになった。会社に行けなくなる寸前まで。
元々仕事も疲れすぎるものだったし、弱みに漬け込まれた。
拘束につぐ拘束・イヤと何十回言ったか覚えていないほどの接触。
好意で出される口に合わない手料理、屈辱的な数々。
元気になる自分をその最中に発見した。
一人でいる時。静かな時間。
その時だけは何かを取り戻せる。
ベッドで蹲りながら、その何かを確かめるように。
新しいドアを開けたなら
盆明け、もうこれ以上は相手できないと告げ
まず机に向かった。
元気ではないが、活力が湧いてきた。
荒れた部屋の片付ける計画を立てて
1年のロードマップを描き始めた。
今の仕事も1年以内に辞める。
部屋も過ごしやすいように。
誰の目も気にせず、好きなことをしよう。
行けなかったジムへ。
できるだけ本を読んで人と繋がる。
落語を聴き、美術館に行き、新しいことに挑戦する。
愛すべき人々と時々ご飯を食べる。
東京に越してくる前に犠牲にした心踊るものを、1年だけ目一杯。
新しいドアは開かれた。
古いドアを閉める
新しいドアを開けたなら、古いドアを閉めよう。
イメージしたのは、2歳から連れて行かれた
ろうそくと間接照明とブラックライトの薄暗い酒場。
昭和50年より前に開いた、養育者と同級生の人のお店。
養育者の遺伝子かお酒は飲める方。
誰かと飲むというよりは一人で飲むことが向いているから
楽しいと思う時間は若い頃には少なかった。
それでも、教養のある大人との会話は今の僕を形成しているものの一つだし
贅沢な時間だった。
それを楽しみに、なけなしの金を握って花街に繰り出していた。
歳が増えるにつれ、そういう話ができる人たちが少なくなっていった。
みんな生きるのに必死、シャンパンやテキーラが飛び交い
酒場でなくてもできるどうでもいい話をするのに僕は飽きた。
誰がモテてイケるか、そんなことにも興味がなくなった。
ちょうど去年、前出のお店が閉店したことを知った。
たまたま、YouTubeで見かけた、変わらない2019年の店内映像。
そして、店主のページにアクセスすると小さくなった後ろ姿を映した
ピアノ演奏。
あぁ、一つの終わりが来たんだ。
僕は45年近く馴染んだ薄暗い酒場のドアを自分で閉めた。
ありがとうといえたのは近所の1軒だけ。でもそれで十分。
新年より早く
新年に目標を立てなかったのは
盆過ぎからすでに始めていたから。
今年の元旦も静岡の家で過ごしたけれど
やることは同じ。変わらない。
掃除して、料理して、トレーニングして、早く寝る。
早く起きて、散歩して、またトレーニングする。
本を読む。学びたかったことに着手する。
これを書いている時点では重い仕事で多少疲れているけれど
毎日があっという間、1日一度は笑って過ごせている。
日々を寿いで、過ごす。
それが僕の終活。