【青春之音】04_Buddha Brand(ブッダブランド) 〜ILLな黒船、襲来。〜
こんにちは、Suzumuraです。
今回は日本を代表するヒップホップユニット、Buddha Brand(ブッダブランド)を紹介したいと思います。
今夏に開催されたパリオリンピックでは「ブレイキン(ブレイクダンス)」が競技種目に採用されるなど、ヒップホップはすっかり世の中に受け入れられている。
私が中学生の頃、EAST END×YURI(イーストエンド・プラス・ユリ)の"DA.YO.NE(だよね)"がスマッシュヒットを記録し、お茶の間に「ラップ」が急速に浸透していった。
これまで感度の高い人々の間だけで秘密裏に共有されていたヒッポホップというニッチなカルチャーが、一変して表舞台に登場することになる新しい時代への地殻変動は、このとき確実に始まったと感じている。
高校受験、中学校の担任に無謀とすら言われた志望校に私は運良く合格した。
入学当初のクラスでの座席は出席番号順が一般的で、つまり、必然的に出席番号が近いところから新しい友達の輪が広がっていくことになる。
しかし、私が親しくなったのは、なぜか座席が遠く離れた彼だった。
当時の彼の自宅はなんと高校の目の前で、よく授業をサボっては彼の家でゲームをやったり音楽を聴いたりして遊んでいた。
放課後、アパレルショップでアルバイトをしていた彼は最先端の流行に敏感で、特にヒップホップにいち早く反応していた。
運動部の練習に忙しく時代の流れに鈍かった私も、音楽やファッションなどカルチャー面で彼に多大な影響を受けて、少しずつヒップホップに興味を持つようになっていった。
インターネットがまだ一般的ではなかった時代、ヒップホップに関する情報収集は、もっぱら彼の部屋に積まれていたWOOFIN'やblastなど専門雑誌に頼っていた。
雑誌のモデルを真似して、ミリタリー系のカーゴパンツをオーバーサイズで履いてみたり、ナイロンパンツを片足だけロールアップしてみたり。
当時はショートソックスすら手に入らず、普通の靴下をうまく折り返してスニーカーを素足履き風にして自慢げになっていた。
当時はMDプレイヤーが一般的だったが、私はあえてCASIOのSHOCK WAVE(ショック・ウエーブ)というカセットプレイヤーを使っていた。
迷彩柄のゴツくて重いボディと重低音に合わせてヘッドホンが振動する機構が特徴で、単三電池が恐ろしいほど早く尽きる代物だ。
そんな彼の部屋に堂々と鎮座していたTechnicsのターンテーブルで初めて聴いたのが"人間発電所"、Buddha Brandのアンセムだ。
それまで聴いてきたJ-POPとは全く異なる別世界の存在を知った衝撃で、私は一気に日本語ラップの世界にのめり込んでいった。
Buddha brandはフロントマンであるDEV LARGE(デヴラージ)、CQ(シーキュー)、NIPPS(ニップス)とDJ MASTEKEY(マスターキー)の3MC+1DJからなるヒップホップユニット。
ニューヨークで結成され、日本に帰国していきなり"人間発電所"でメジャーデビューを果たした。
"ブッダの休日"や"天運我にあり(撃つ用意)"も必聴だ。
Buddha BrandとShakkazombie(シャカゾンビ)とのスペシャルユニット大神(Ohkami)の"大怪我"は、5MCのマイクリレーが圧巻。
DEV LARGEは、日本語ヒップホップの伝説的クラシックであるRAMP EYE(ランプアイ)の"証言"にも参加、7MCのマイクリレーのトリとなる第7の証言を語っている。
今でもBuddha Brandの楽曲を聴くと、まわりのほとんどが気付いていない新しい時代の流れを(彼のおかげで)追いかけていた野心的な気持ちを思い出します。
いつまでも永遠に語り継がれていくであろう名曲ばかりなので、ぜひ聴いてみてください!
今回は以上になります。
では、また!