【歴史の授業】Snow Manの結成からデビューまで③

たぬきちです。

またまた前回の続きです。

前回の記事ではようやくSnow Manが結成されたところまで書きました。
当時のメンバー6人(宮舘・岩本・佐久間・渡辺・阿部・深澤)から、現在の9人体制に至るまで、どんな経緯があったのか…
今日は少し視点を変えて、西の方へ目を向けてみようと思います。


5 関西ジャニーズJr.の世代交代について

ジャニーズJr.は大きく関東と関西に分かれており、関西を中心に活動するジュニアを「関西ジャニーズJr.」(通称:関ジュ)と呼びます。今ではベテランタレントとして有名なKinki Kidsや関ジャニ∞も関ジュ出身です。

関東でSnow Manが結成されたころ、関ジュ内でも実力有するグループが複数存在していました。

①B.A.D.
現ジャニーズWESTの中間淳太・桐山照史からなる2人組ユニット。
当時の関ジュのツートップ。基本的にステージの最前線に立っていたのはこの2人でした。
※「Beautiful American Dream」の略らしいが、なぜアメリカなのかは不明。ちなみにB.A.D.というグループは関東の先輩から代々受け継がれてきたものらしく、嵐の二宮君・相葉君時代、元KAT-TUNの赤西君・田口君が所属していた時代もあったそうです。

②BOYS
現ジャニーズWESTの濵田崇裕と、中田大地の2人組ユニット。元は4人組だったが、最終的に2人になる。しかし、程なくして中田君が退所し、実質濵田君は無所属のひとりになります…。

③7WEST
関東のジュニアで結成されたHey!Say!7(2007年結成:中島裕翔・山田涼介・知念侑李・有岡大貴・高木雄也)の対抗馬として結成されたグループ。
メンバーは色々移り変わりがあったが、最終的には、現ジャニーズWESTの重岡大毅・藤井流星・神山智洋・小瀧望の4人となります。

メンバーを見てもらえればお分かりかもしれませんが、上記3グループが実質そのままジャニーズWESTとして2014年にデビューすることになります。
ジャニーズWESTデビュー前、先輩の彼らと一緒に関西のステージを盛り上げていた若き後輩グループも存在しました。

④Kin Kan
2012年に結成された3人組。メンバーは向井康二(現Snow Man)、平野紫耀(現King&Prince)、金内柊真
グループ名は「King of Kansai」の略。

⑤なにわ皇子
こちらも2012年に結成された3人組。メンバーは永瀬廉(現King&Prince)、西畑大吾(現なにわ男子)、大西流星(現なにわ男子)。

今やキンプリとして怒涛の活躍をみせる平野君、永瀬君はもともと関ジュとして活動していたんですね。
(ちなみにSnow Manの結成も2012年なので、この2グループはSnow Manと同期チームということになりますね。)


個人的なイメージですが、当時の関ジュのステージとしては、B.A.D.を筆頭に①②③のグループが後輩たちを引っ張り、それに続く形で④⑤のグループもちょいちょい見せ場があった、みたいな形だったと思います。

この時代の関ジュのステージ上でのパフォーマンス力って凄くて、本当にジュニア?って思うほど堂々としてるし、歌もダンスもレベル高くて、とにかく圧倒されてました…。
関東に比べると、関西ってメディアに出る頻度が少ないので、限られたチャンスで見せつけてやろう!みたいなハングリー精神的なものもあったんじゃないかなーと推察します…。

関ジュで代々受け継がれている曲っていうのはいくつかあるんですが、この5グループが一緒に歌っていた「Next Stage」っていう曲が個人的にはめっっちゃ好きです。

ジャニーズには「ジュニア黄金期」なんて呼ばれる時代があるんですけど(主にタッキーや嵐がジュニアだった時代)、関ジュの黄金期はまさにこの時代だったと言っても過言ではないでしょう。
(個人的には濵田君・神山君推しです。この2人の歌唱力とアクロバットはジャニーズの中でもトップレベルだと思います。)

やがてジャニーズWESTがデビューし、残された④⑤の2グループが関ジュを引っ張っていくことになります。Kin Kanとなにわ皇子で通称「なにきん」と呼ばれ、6人で活動することが増えていきます。

当時6人がレギュラー出演していた「まいど!ジャ~ニィ~」という番組があるんですが、最年長の向井君が、持ち前のトーク力でメインMCを務め、年下の弟たちの面倒を見ていたような感じでした(最年少の大西君は当時小学生くらい…)。

「俺たちも先輩たちに続いて絶対デビューしよう!」そんな気概が見えたような6人でしたが、未来は少し違った形を見せてきます…。


6  Mr.King vs Mr.Prince の結成による関ジュ内の動きについて

2015年、「テレビ朝日・六本木ヒルズ 夏祭り SUMMER STATION」の応援サポーターとして、ジャニーズJr.にまた新たなグループが発足します。それが、「 Mr.King vs Mr.Prince 」です。
メンバーは、平野紫耀・永瀬廉・髙橋海人・岸優太・岩橋玄樹・神宮寺勇太の6人。
そう、後のKing&Princeの原型となったグループです。

期間限定ユニットとして結成されたこのグループですが、注目は、関ジュとして活動していた平野君・永瀬君が抜擢されたことです。グループ名の「VS」については、平野君・永瀬君・髙橋君からなる「Mr.King」と、岸君・岩橋君・神宮寺君からなる「Mr.Prince」が闘いながら互いに切磋琢磨していく、という意味が込められているんだとか。

しかしこのグループ、結成当初は期間限定だったはずが、そのまま継続して活動していくことになります。やがてグループはそのまま「Mr.KING」と「Prince」の3・3に分かれ、それぞれ関東を中心に活動していくことになります。

そうです、WESTデビュー後、関ジュの実質のツートップだった平野・永瀬コンビが、関東に引っこ抜かれたようなものです。

ちなみに、過去にNEWSが結成された時も、関ジュから錦戸君・内君が抜擢されたという似たような出来事がありました。この2人は、関ジャニ∞も兼任しながら翌年デビューし、2グループのメンバーとしてデビューという異例の業を成し遂げています。

平野君・永瀬君ももしかしたら兼任デビュー?…そう思った方ももしかしたらいたかもしれませんが、なかなかそうはいきません。Mr.KINGは関東勢の中でも絶大な人気を誇るようになり、必然的に2人は関西での活動がなくなっていきます。

一方、関ジュ内では、Kin Kanのメンバーだった金内君が事務所を退所してしまいます。
平野君・永瀬君が関東へ進出し、残された向井君・西畑君・大西君の3人が、事実上関ジュを引っ張っていくことになります。

余談ですが、WESTがデビューし、エース級3人(平野・永瀬・金内)がいなくなった関ジュの状態は、一部のファンから「焼け野原」と呼ばれていました…

やがて平野君・永瀬君はそのまま2018年、「King&Prince」として正式にCDデビューを果たします。

Kin Kan・なにわ皇子の自然解体後、目立った動きがなかった関ジュでしたが、また新たな動きが起きます。

7 なにわ男子の結成について

新たな才能を発掘しようと、関ジャニ∞の横山君・大倉君らを中心に、関ジュのプロデュース活動が始まりました。
そして、関ジュにまた新たなグループが誕生。2018年、「なにわ男子」が結成されました。メンバーは、元なにわ皇子の西畑大吾・大西流星に加え、大橋和也・藤原丈一郎・高橋恭平・長尾謙杜・道枝駿祐の7名。

ついに、焼け野原とまで言われていた関ジュに新たな光が!

しかし、ここで違和感を感じた方は少なくなかったはず…



向井君の名前がありません。


なにわ男子として発表されたメンバーの中には、今まで「なにきん」の最年長として、関ジュの兄貴分として、みんなを引っ張り、まとめ、面倒を見てきた向井君が入っていませんでした。

向井君本人も、なにわ男子に選ばれなかったことについてはショックを受けたそうです。本人はもちろん、一緒にやってきた西畑君・大西君も戸惑いは隠せなかったのではないでしょうか…。

なぜ向井君がなにわ男子に選ばれなかったのか。様々な憶測が飛び交ってはいますが、それはプロデューサーのみぞ知るところ。前の記事でも書きましたが、新グループが発足する時はこうした人選による波乱はよく起こるものです…

しかしこの時、この人選もまた、後のSnow Manに大きな影響を及ぼすことになるとは、まだ誰も知る由もなかった…


今日はここまで!

今回も全然Snow Manに触れられてなくてすみませんでした(笑)。ただ、関ジュの歴史もSnow Manを語る上では重要なポイントです(これでもしぼって書いた方だと思います(笑)もっと書きたいこといっぱいあるけど、本筋が行方不明になりそうなので…)。


ここまで読んでいただきありがとうございました(^^♪


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