ながい愛
何事にも節目の年というものがありまして、年齢で言うと「60歳=還暦」「40歳=不惑」「3歳・5歳・7歳=子供の成長をお祝い」「77歳=喜寿」「31歳=いい・・丁度いい・・・」色々ありますよね。
そんな節目として「結婚記念」も結構ありまして、結婚したその年を0年として、1周年目が紙婚式、8周年目が「もう、、ねえ?」で有名なゴム婚式、10周年目が錫婚式、25周年目が銀婚式、40周年目がルビー婚式、そして結婚周年のトップオブトップの節目が、50周年目=金婚式という訳です。
まったく手前みそな話でありますが、今年、僕の両親がこの金婚式を迎えました。
今ではこんな距離のツーショット見られません。
父は秋田県出身でありまして、スキージャンプをしていた駒沢大学時代に合宿で朝日町を訪れたんです。それこそ52年前に。
母は朝日町出身で、父親が「イトイ産業」の創業者である「下野利彦」だったんです。私の祖父ですね。
父はスキージャンプの合宿に訪れたこの町で母と出会い、大学卒業後、この町に来てイトイ産業に入社し、紆余曲折あって2代目社長に就任し、2018年に僕に譲るまで30数年間社長を務めました。
承継する際に代表印を僕に渡して、「下野に戻すのが俺の役割だ。それを果たした。」と言い、以後、父は私の会社経営には一切口を出したことはありません。
そういう背景があるのでイトイ産業にはスキージャンプチーム(2018年設立)やKAMIKAWA・士別サムライブレイズ(2021年設立)があり、今年は多目的屋内練習場の「BLADESーGYM」を建設する等、スポーツ振興と地方創生を結び付けた事業展開をしているのです。
だってジャンプ台がなかったら、ジャンプという競技がなかったら僕生まれてませんしね。おそらく、イトイ産業(創業76年)もここまで続けられなかったと思います。
ジャンプというスポーツをきっかけとして、この町で愛する妻と共に人生のほとんどを歩んで来た秋田県大館市出身の父親(長男)は52年前を回顧して今でもこう言います。
「俺は着地に失敗した」と。
金婚式サプライズパーティープロジェクト
そんな両親の節目の年ですから、何かしらお祝いをしようと(実際には圧力強めの父から催促があり)思い、色々考えた結果、二人の歴史は会社の歴史でもあるので「社員と一緒にお祝いしよう」と、そしてその事を両親には知らせずに「サプライズで開催しよう」となりました。
そこで、今年の夏のとある日、こういう秘密企画モノが大好物そうなクールビューティー社員を社長室に呼び出しまして
「10月31日(木)、札幌に全社員を集めて、金婚式を言お祝いする。すべてサプライズだ。予算は〇〇〇万円。このプロジェクトリーダーは君だ!」
そういうとクールビューティーは表情を変えずにこくりと頷きました。
ただ、その時、僕は確かに聞きました。
暗い暗い彼女の胸の奥の方で
闇の炎ってアレです
結果、クールビューティーの怖いくらいの活躍もあり、情報は一切漏れずにサプライズは大成功でした。
まさか両親も、この繁忙期に全員が士別から札幌まで来てお祝いするとは思わなかったようで、もうね、心の底から驚き、そして喜んでおりました。
もう入場した時に既に司会の方が泣かれてたり、みんなお揃いのシャツを着て、笑いあり涙ありで改めて素晴らしい社員に囲まれているなーと。
両親が大好きなお寿司屋の大将も駆けつけてくれました!
両親が元気でこのようなイベントが開催出来る事が幸せな事だと思いましたし、僕は本当にこのお二人には苦労ばかりをかけたので頭が上がりませんし、お祝いする側のこちらが逆に感謝感謝の一夜でした。
まー、そんな両親を見てね。僕にも妻がいますから。
結婚式以来、結婚指輪もしたことがなく、妻に結婚指輪の在処を聞かれても、思わず伏し目がちになる今日この頃ではありますがいつも支えて頂いております。
妻はとてもおしとやかで、口数も少なく、少し激しめな関係性の両親夫婦とは違うタイプの夫婦ではありますが、僕達も両親の様に、いつか50周年という節目を元気に迎えられたらなあ、としみじみ思っています。
そんな感動の金婚式パーティーの最中、妻に「つるはし」といえば?と突然問題を出され、金婚式に絡めて「夫婦の絆は永遠の橋。鶴の橋ってことですな!」と答えたら「ぶっぶー、正解はホルモンです!」(掘るもの…)といたずらな笑顔で言われて、危うくジャスマックで5人目を作りそうになった話は次回にしましょう。