パンチラインで攻める作品――朝井リョウ『正欲』の感想
朝井リョウ『正欲』を読み終えた。
表紙の帯に、“読む前の自分には戻れない――”とあったが、これは確かに、価値観を揺さぶってくる一冊である。
“多様性”が叫ばれる昨今、しかし、「何か違和感があるんだよなぁ」と思っていた人は多い。その違和感を言語化し、さらにはこれまで“一般”であり、“普通”であると思っていたことを、マイノリティ側の目線からバラバラに分解する。
ストーリーの中に、ちょっと無理があるなぁと思う箇所もあったが、随所に名文が散らばっている、パンチラインで魅せる作品だと思った。
おそらく、これこそが朝井リョウ氏の真骨頂なのだろう。朝井リョウさんは、物語の手練れではなく、一文にインパクトを込める、パンチラインの名手である。
・前半に、「食欲は人間を裏切らないから」 「睡眠欲は人間を裏切らないから」というセリフがでてくるのだが、その時点では、ピンとこなった。正直。
が、終盤になって、「誰が何をどう思うかは、誰にも操れない」という箇所で理解する。
人の“思う”や、“感じる”は、誰にも操れない。
食欲や睡眠欲がそうであるように、人が口出し、制限することはできないものである。
・「多数の人間がいる岸にいるということ自体が、その人にとっての最大の、そして唯一のアイデンティティとなっている」。
自分がマジョリティ側であることが、私のアイデンティティとなっており、「私は多数派である」と強く信じている。
ゆえに、多数派でない、外れていると思われるものを異物として否定する。
しかし、マジョリティであることの安心感を、私のアイデンティティとしてもよいのだろうか。
そうしなければ生きていけないのが人間の現実なのかもしれない、だからこれは簡単に否定できる話ではない。
が、多数派に固執して(安心して)生き延びるにしても、私の中にもマイノリティが存在することを見つめて生きていきたい。
・“正欲”という言葉の意味は、複数あって、一つではないだろう。ここには色んな解釈があるだろう。
なんにせよ、このような作品、小説があることは実に素晴らしいことだと、読みながらそう感じた。
社会的メッセージ性が込められた作品なのだが、そのメッセージを小説という形式でうまく伝えている。これは音楽や絵画では、なかなか伝えにくいメッセージであろうと思う。