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讒文芝居

表面上は色がある、表面上は甘味がある、表面上には味がある、
しかし実のところ原子と空虚あるのみ

(デモクリトス「断片9」)


兎に角、無性に闇雲に赤が好き喃子供だっ度。
何でも、赤いなら手放しで納得して居た。

昭和の時代で御座る。

専ら、ランドセルは女子は赤。男子は黒。
だった時代にて。

小学校に上がるにしても、赤いランドセルが背負いた乎っ度。
駄駄も捏ね度が、黒を背負わ然れ納得がいか無乎っ度。
己でも何故だった乎は忘却の彼方。
理由なんざ無いの乎も知れぬ。

長じて、
最早、彼の頃の某を正確に去来する事は能わぬ。

誰乎が云った。
色を認識した事が無い者に言葉のみで伝える事は
如何に天賦の才でも到底無理だと。

赤。とは妙喃色だ。

鮮やかで怖い。だが、目出度い。
一大事なら消防車。
祭典では紅白で能く眼にするが、
鬼や天狗やなまはげ、ヘルボーイも赤い。

妖怪変化や鬼、神や悪魔や此の世の者で無い者は
押並べて赤い。

「赤い靴履いて度女の子」も
誰何も儘為らぬ異人さんに連れられて何処乎に行っちゃうもんだから
怖い。でも「赤い靴」で無いならば如何だっ度ろう乎。

真っ赤喃嘘。赤の他人。赤貧に喘ぐ。赤子。共産主義。
善いの乎悪いの乎。抑抑、二元論で語る範疇では無いの乎。

彼れ程、五月蝿い位に飛んで居た赤蜻蛉を頓と観無く為った大人に為って、
辞書や経験から我我は「解った気」に為っては居るが

実は何も解って無い。

辞書では表面上、
右を調べる方法を書いて在っても「右其の物」の実相を表わしては無い。
実は誰も死ぬ迄本当を何も教えて呉れぬし、教わる事は出来無い。

怖ろしい事だ。

只、平素は臍で茶を沸かす
何乎の心理試験や譬えで云われるだに全く賛同出来ぬが
此れ丈は賛同する。赤は原初だと謂う事。

赤とは妙喃色だ。とぞ、此の曲を聴かば、寸分違わず
初回と全く同じく全く解らぬのに「瞬く間に解る」

妙喃事だ。なんつて。


■ニュー・ウェーヴ「ヤプーズ」

「赤い戦車」