讒文芝居
●最近の此の曲弩豪い
血塗れの茨の路を何とか掻い潜って、
生命頻りは獲られまいとする幇間の如き処世術が
パブロフ張りに未だ染み着いて仕舞って居る。
もう、そろそろ幸福に為る勇気を以て、
済いませんの代わりに有難う。
他人を信用して明瞭に主張を云わなくてはならないのだ。って、
イイ歳しといて重いナァあたしの人生。
と、謂う訳で今回は
「単為る酔っ払いの伝説」と謂う御話。
重度の鬱病の母と一緒に暮らして
仕方の無い事なのだが、虚無の雰囲気に呑まれ
己も小3にして精神は崩壊寸前。
自衛隊式折檻を得手として居た無駄に暴力ハイ・スペックな人間の屑の如き
儘父からこっぴどい虐待も受け度し
学校ではこっ酷い虐めにも遭って来たが、八方手を尽くして何と乎、
高校生で立ち直れる程度の病みで済んで来た。
其の代わりに怒る事も哀しむ事も全部消え度。
只、貼り附いた様な笑顔が残っ度。笑う事し乎出来無く為っ度のだっ度。
だが、不感症とも云え度「逆境への衝たれ強さ」も寄る年波には敵わぬ。
人生で、此れはもう独力では這い上がるのは不可能喃どん底に
不惑一年生位の時分に陥って、心療内科のカウンセリングを受けて居た
時期が在る。
カウンセリングの時に先生に開口一番云われたのが
「貴方、此の数分の裡に『済いません』と幾度仰いまし度?
貴方は其の『済いませんに酔って居る』のでは無いです乎。
全然済まないとは想って無い。けれど、安心するから其の言葉に酔っ払って居るのでは無いです乎?」と。図星で在った。在ったけれど、
同時に其の発想は無乎っ度。
でも人が「感動」とか「感激」と呼ぶ物も
「光側の酔っ払い」
「如何せオレは」と乎謂う暗示も
「闇側の酔っ払い」
にて腑に落ちる。
何方にしても「酔っ払って居る」のだ。
「人間は皆んな素面では無いんです。如何せ酔うなら
『前向き』に酔っ払えばイイんじゃあ無いんです乎?」と
悪魔的笑みを湛えて先生は呟く。
「済いませんを有難うに為て仕舞えば、貴方の潜在意識にも効く。
噫、本当に有難う喃て想って無くってイイんです。
酔っ払う為ですから。抑抑、貴方も『済まない』喃て本心から想って連呼して居た訳では無いでしょう?」
「出来然うも無いです。効果も無い様に感じる」
「遣って無いのに?何で然う云い切れるのです?」
「う」
「験しに遣ってみれば?誰も損しませんよ。
有難う御目出度うと云われて殴って来る場合は御葬式位哉?
脱線為ましたが、マイナスは無い。其れは断言できます。異論在ります?」
「遣ってみます」「其の意気です」
数箇月後。精神状態は元の緩解に近く為っ度。
其処から引き寄せの法則や巷間広義的オカルトと乎では無く
「前向き」を心の主食とした。だって、後向きばっかり並べて居ても
中中前向きの選択肢は余地は無いが、
前向きばっかりの中からは流石に前向きを選ばざるを得ぬ。
田中圭一先生の名著「うつヌケ」にも書いて在るが
「アファメーション
(自分は大丈夫!と睡入り端と起き抜けに
『嘘でも』心に毎日云い聴かせる暗示)」
が兎に角、効い度。
だって、元元今日も明日も生きて居る「完全保証」は無い。
何ん喃強固喃防禦策取ったって、其の「ヤマ」が外れれは無いのと一緒だ。
矢張り皆「自分はイケる」(イケてる迄イケれば尚宜しい)
と謂う勘違いに酔って居る丈だ。後盾や資格や権威が在ろうが無かろうが。
然し、現実は同じでも自分自身が
嘘でも自信に満ちて「断じて行えば鬼神も之を避く」
ってえ奴で在る。リラックスしてスムーズに物事が運ぶ。
能く、世の中の真っ暗闇の真実を暴いてこそ、と乎、
鬱や鬱屈弱者感情(ルサンチマン)に陥った者は得手勝手に想い込むが
倉橋ヨエコさんが「今日も雨」で
「知らない方が、噫、マシだった」
「真実は明日も私を屹度、泣かせるだろう」
とぞ歌って居らっしゃる通り日常生活の糞の役にも立ちはせぬ。
其んな真実は実は皆も莫迦じゃあ無いから、厭って程知って居るし
要事以外は真正面から向き合う丈疲れるし、身動ぎが出来無く為る。
人生はマジで永い。
だったら嘘でも御気楽極楽だと「酔っ払った」って勘違いして居た方が
未だマシなのだ。「虚無」とは、完全に手を切るのも危険なので
(『噫、彼の時日和って弛緩して居たから巧くいか喃だ!』
と乎想っちゃう奴やら。
此れも、「抉附けの勘違い」の一種で、迷信と変わらんのだが
「完全に信じるのでは無く『疑う余地』は必要」)
其の余技で偶~にじゃれ合う位で恰度イイ。
於多久(おたく)気質も在り前向き偏執狂に為っ度。
煙草も自然と頓と止められ度。デスから一番縁遠いチャラい
ブルーノ・マーズやLMFAOやAOR、ソフト・ロックを見詰め直し度。
殊ににAORやソフト・ロックは当時異常にBGMや主題歌が
ソフト・ロックに凝って居た「赤い光弾ジリオン」の
サントラから聴き直し度。当時AORやソフト・ロックを
「甘やかし」やら揶揄して余り重視して居無乎っ度筆者でも憶えて居度し、
喃と只今でもアニメ好き門外門内漢拘わらずに評価絶大で在り、
売れ捲くり、プレミアは一切附かずに適正価格で売買されて居る。
其の事実にも泪が出然うに為っ度。「イイものがモノスゴク売れている」
何と信用の於ける事実で在ろう乎。嘘や勘違いでも其れが嬉し乎っ度。
其のジリオンの主題歌でも「Rock Candy」の歌詞は、
将に恥ずかしいが、其れを恥ずかしいと想う恥ずかしい己を赦す様な歌詞で襤褸襤褸に哭い度。凄く何処にでも在り然う喃のだが、
此の均衡(バランス)で聴くだに人を鼓舞し温める「温泉味」こそが
AORやソフト・ロックなのだと気附乎然るる。「甘やかし」では無い。
多分、前奏丈は聴い度事が在る人が多いだろう。
ボビー・コールドウェルやボズ・スキャッグス、
ロキシー・ミュージック、ドナルド・フェイゲン等等を散散聴い居て、
心底解る程では無乎っ度のに「Rock Candy」を通過し度丈で
手に取る様に解っ度。
如何に体裁や世間体、虚勢、依存で音楽を聴いて来た乎が解って、
更に愕然とした。
然し、愕然とし乍らも、其処には希望が在った。
痛みと共に感情も鳥渡ずつ戻って来度。もう、腹も立てば泪も流せる。
平易な言葉だが、自尊感情を自己愛を失くした者の
凍て附く心象を少しずつ融かし、止め処も無い優しさが横溢して居る。
カッコイイとか、アガる、燃えるのに頽廃や倒錯に幻覚(サイケデリア)に
「酔っ払う」もイイでしょう。
だが「無条件に勇気を貰える」此れを超える功徳とロックは無い。
後「最近、真面目乎っ!」との突っ込み多数貰い然うだが
今回も落ちは無い。
●結城梨沙 「Rock Candy」