平和について考える
広島が原爆の被害にあってから今日で79年とのことです。8月6日と広島へ訪問する時は、平和について考えます。
私の母は広島市の出身で、祖父母は戦争経験者です。二人とも爆心地から離れたところにいたらしく、原爆の被害には遭わなかったようです。昔は全然感じなかったですが、祖父母どちらかが亡くなっていたら、母はいなかったわけで、私も私の子供たちもいなかったと考えると、命を与えていただいたのは奇跡のように思えて、生かされた命は大切にしなければならないと最近強く思うようになりました。
小さい頃、祖父母の家に行くと、祖父から戦争体験を聞いてましたし、平和記念公園にも時々訪れていて、平和について考えることは多かったと思います。
話は変わりますが、平和について考える際に思い出す親友がいます。彼は職場の同期だったのですが、15年ほど前に若くして亡くなってしまいました。
いつも穏やかで、誰に対しても優しく、多様性を寛容に受け入れる器の大きい人でした。私は彼ほど優しい人間を知りません。
彼を思い出しては、人に優しくしないといけないと一瞬改心しますが、私は割と短気な性格なので、時間が経つと、優しさを失ってしまいます。
誰もが彼のように、いかなる人に対してもいかなる時も優しくしていられたら、究極的には世の中の平和は保たれるのだろうと思います。
平和を願うということは、自分が他人に対して、優しくできるということなのだと思います。優しさが次の優しさを生み出す美しい連鎖ができますように、優しさで溢れる世の中になりますように、今日という機会に自分の行動を見直したいと思います。
最後に、原爆の犠牲になられた方々のご冥福をお祈りします。
今日もお読みいただき、ありがとうございました。