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浅田次郎さんの『おもかげ』を読んで考える・・親子と里親制度

浅田次郎さんの『おもかげ』を読了しました。
私は、世の中の不条理に直面した人間を、優しい眼差しで描く作者の世界観が大好きであります。しかし、本作はそこまで感動は出来ませんでした。

本作のあらすじは・・

孤独の中で育ち、温かな家庭を築き、定年の日の帰りに地下鉄で倒れた男。
切なすぎる愛と奇跡の物語。

エリート会社員として定年まで勤め上げた竹脇は、送別会の帰りに地下鉄で倒れ意識を失う。家族や友が次々に見舞いに訪れる中、竹脇の心は外へとさまよい出し、忘れていたさまざまな記憶が呼び起こされる。孤独な幼少期、幼くして亡くした息子、そして……。涙なくして読めない至高の最終章。著者会心の傑作。
(講談社BOOK倶楽部より)

少しネタバレをしますと・・

主人公は・・
団塊の世代で、捨て子として生まれ、両親の顔も、出生の秘密も、本当の誕生日や名前さえも知らずに施設で育ちます。
苦労しながらも大学に進学して、エリートビジネスマンになり、家庭も築きます。ごく普通の家庭を築くという夢を実現しながらも、親を知らないということにコンプレックスを抱いたまま人生を送り、どこか心に穴が開いている、そんな男であります。

本作は本当に良くできています。構成も見事で読みやすいですし、確かに宣伝文句のように『著者会心の傑作』なのだと思います。しかし、なぜ感動できなかったと言うと、私はこの主人公とは真逆のことを言っている人を何人も知っているからです。

虐待を受けて育った人(虐待サバイバー)たちが「あんな親だったら最初からいない方がマシだった‼️と語っているのを、私は何度も聞いたことがあります。

彼らが本心から言っているかどうかは、私には計りかねます・・

前に児童相談所の職員の方の講演を聞いた時に、その人が語っておられました。

「親から引き離される子どもの喪失感は計り知れない。1番の精神的な虐待は親から引き離すことかもしれない。だから、ある程度の虐待であるのならば親元にいた方が良い。」

親の顔を知らずに施設で育つのと・・
虐待をする毒親の下で育つのとどっちがいいか?

究極の選択でしょう?
しかも、この選択は本人は選べません。

親子とは一体どういうものなのか?
いろいろと考えてしまって、話自体には入り込めませんでした。

そして、もう一つ言うならば、この主人公は施設に入るのが当たり前の社会で育っています。戦後復興期は仕方なかったのでしょう? しかし、現代社会においてもほとんど変わっていないのが現状です。

私は里親制度を充足させるべきであると考えています。将来的にこの小説を読んだ人が、昔は施設に入るのが当たり前だったんだね‼️と驚くようになることを望んでいます。