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「ヤクザときどきピアノ」という使徒
わたしはノンフィクションが好きで、鈴木智彦さんも好きなのでサカナであろうが原発であろうがピアノであろうが絶対に読むわけなんです。
当然買いましたしワクワクしながらページをめくったのですが(kindleですけど)、かなり序盤で手が止まってしまった。本の内容とか題材とかそんなことで手が止まったわけではない。レイコ先生の登場とともに、その頃こっぴどく振られた出来事が蘇って胸が痛くなってしまったのだ。
ピアノ専攻ではなかったけど音大出身の女の子と仲良くなったことがあった。幼少の頃から特別な専門教育を受け、全国に名を知られた少女時代を過ごし、今も音楽で飯を食う彼女の話はとても面白く興味深い。家柄がよく女子校から音大へと進み、傍から見る分には清楚街道を真っ直ぐ歩いていそうな子だったが、お嬢様なくせに破天荒であけすけで物怖じしない今までお目にかかったことのないタイプだった。さらに彼女は漫画や小説など文字ベースの創作物のなかではよく見かけるが実際にはあまり出くわさない「~わよ」「~わね」をナチュラルに使いこなすタイプで、レイコ先生のセリフは(デフォルメはあるかもしれないが)その子を彷彿とさせた。いや、彷彿どころではない解像度で目の前に現れた。完全に思い出してしまったのだ。
本を読む前、かなりこっぴどい振られ方をしたわたしは直後からしばらく憔悴し、その子の専門にしている楽器の音どころかクラシック関連の単語、好きな食べもの、好きなキャラクタ、遊んだ街の字面でさえ目に入ると胸が痛くなった。それくらい凹んでいた。
だからレイコ先生の登場、初っ端の存在感にくらってしまった。レイコ先生のセリフを読むたびにその子で再生される。途端にわたしはkindleを置いた。傷を抉られ読み進めるのがこわくなった。音大生は他の楽器コースでもピアノはかなり弾ける。もしかしたらレイコ先生はあの子なんじゃないかとさえ思った。
そんなわけで動悸がして読み進められなかったのだ。
しかし少し前に、あるyoutubeで「ヤクザときどきピアノ」が紹介され話題になっていたことで未読だと思い出し、再び読み進めることにした。
フリーズドライされていた古傷はあっさりと生傷に戻った。彼女との間に起こった出来事、死ぬほどしたいくつもの後悔が次々と頭に浮かんで集中できない。逃げちゃだめだとシンジくんのようなことを思いながら読み進める。バッハのあたりまで読んでkindleを再び置いた。タバコに火をつけ頭を抱えた。しばらく忘れていた細かい思い出まで昨日のことのように再生されて溜め息が出る。
まだレッスンを始めた序盤である。ダンシングクイーンまでの道のりは長い。
しかし少しずつ進んでいくしかないのだ。