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撮った写真どうしよう問題

先日の盆休み、宇宙侵略者の熱線兵器かと思うほど猛烈な日差しのなか広島へ旅行に行った。
画面のなかで見る夏は眩しく青々としていていかにも物語的で素敵な感じだが、実際に〝自分が立つ夏〟は汗だくになり朦朧とし身体中べたべたでとても素敵とはいえない。「菊次郎の夏」や「AIR」は画面のなかだから美しいのである。だから、舌打ちするほど鬱陶しい暑さのなかで撮った写真は今見返すと割と良い。暑さが抜け落ちるので夏の良さだけを感じられる。
普段なら着の身着のまま出かけるが、今回は某カメラメーカーに勤める連れがいた。大きなカメラを持ってくるはずで、わたしも昔に買ったミラーレスを持っていった。持っていったのだが、この写真たちはどうすればいいのか。
人類の多くがフィルムカメラからの脱却を果たした今、デジタルデータとしての写真をどうしようかという問題がある。
スマートホンにデジタルカメラと簡単に撮って見返すことが出来る道具は身近にあっても、「写真」をどう残すのかというのに答えが出ていない。フィルムの頃は現像が必須で、物理写真が手許に残った。良く撮れたものをアルバムに張り付け本として本棚に並べることが出来た。増えてくれば置き場所に困るともいえるがシンプルである。
デジタルの場合は旅行や身近なイベントなどで撮られた写真はHDDの肥やしとなって死蔵されるのが常だ。とはいえ律儀にプリントしてアルバムを作る気にもならない。写真家でもあるまいしポートフォリオサイトを作る人も少ないだろうしその意義も見いだせない。
知り合いの女性が、スマホで撮ったお気に入り写真はインスタに投稿後すぐに非公開にしてアルバム扱いしていた。皆に見せるものはストーリーをまとめてフォルダのように扱っている。インスタではかなり画像劣化するはずだが、実のところスマホ画面で美しく見ることができれば良いというのが正解なのかもしれない。(自分は嫌だが)
わたしはどうしたらいいのか本当に分からない。
過去の写真はすべてHDDと堅牢なクラウドスペースのなかで誰にも見られず死んでいる。気軽に人に見せることもできないので、そんなものは存在しないのと一緒だという気もする。そうなってくると重いカメラを旅行に持っていく必要はないのだ。
なのでとりあえず、今回のミラーレスの分だけでもネットに残そうと考えnoteを思い出した。前置きが長くなったけども、アルバム代わりにしたかっただけである。


尾道駅前
尾道本通り商店街の脇
商店街どんつき近くを左に入ったとこの常夜灯
御袖天満宮の脇の向こう側
御袖天満宮の脇、この先に知り合いの不動産屋にただでやると言われた家がある
御袖天満宮の脇
御袖天満宮
路地の井戸
参道が線路をまたぐ神社の線路じゃない側
参道が線路をまたぐ神社の線路渡った側
参道が線路をまたぐ神社の線路側
参道が線路をまたぐ神社の向こう側
参道が線路をまたぐ神社の入口
尾道飲み屋街の路地
階段
本当に思い出せない路地
どこか分からない階段
誰しもが持っている尾道写真
千光寺を下りる途中
千光寺を下りる途中
千光寺から駅に向かう途中
階段を作った世話人か?
その階段(うしろは線路をくぐるトンネル)
尾道駅のちょっと上
ここから鞆の浦
鞆の浦の大渋滞路地の脇の家
THE 鞆の浦の路地
THE 鞆の浦の路地
THE 鞆の浦の常夜灯
對潮楼間近
對潮楼の端
對潮楼の裏
撮ってもらった自分

以上である。
わたしが死んでもなおここに残るとしたらきっと意味がある。

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