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④入院、抗がん剤治療

2023年9月3日~11月11日

【入院、抗がん剤投与】
9月3日に入院し、9月4日から初投薬開始。当初はクール間隔なしで1クール21日、3クールの予定で入院。途中で予想外に第4クール追加となり、第3クールの途中で一時退院を経て、最後に退院をしたのが11月11日となった。

BEP療法は、1クール21日で3か4クール、1クール中、最初の5日間にエトポシド(BEPのE)とシスプラチン(BEPのP)とブレオ(BEPのB)を連続投与して(なお、ブレオは2日目だけ)、9日目と16日目にブレオを投与する、というスケジュール。
最初は緊張したけど最初の5日を終了した段階ではこんなもんか、ひょっとして自分はかなり耐性があるのでは?という感じで調子に乗っていた。
シスプラチンが腎臓に溜まるとまずいらしく、排出しないといけないので、投薬後、点滴と口から両方で水分を接種して頻回に尿を出すように言われ、毎回紙コップで量を量って、トイレにいった時間を手書きで紙に記録するしていた。点滴と心電図がついているので地味にこれが面倒くさかったくらいだった。なお、多い時はたしか24時間で5リットルくらい排出した。
ところが、2クール目からはうってかわってしんどさが襲ってきた。やはり時間が経過すればするほど体にも薬が蓄積してきてしんどくなってくるという感じだった模様。

以下は投与中の体調の変化の特徴。

① 頭痛
自分の症状としては、中盤~後半は慢性的な激し目の頭痛が一番きつかった。処方されたカロナールかロキソニンを頻繫に飲んで凌いでいた。退院後の1カ月間位も含めると一生分の9割位のカロナール、ロキソニンを飲んだかもしれない。頭が割れるように痛くなりとにかく何もやる気力が出ない。

② 消化能力低下
吐き気はあまりなかったが消化能力が極端におちて、ちょっと重たいものを食べると翌日の夜までグロッキーになるということが頻繁にあった。食事制限はなかったので、差し入れなどで、ハンバーガーやつけ麺などを持ってきてもらって食べることもあったけれど調子のタイミングをミスすると後で激しく後悔するはめに。ただ、中盤以降は消化を助ける薬が処方されて、毎日飲むようになり、かつ、消化能力の塩梅もなんとなくわかってきたので、前半の頃のように食べた後にもだえ苦しむことはなくなった。ちなみに体験談などを見ると、吐き気がひどいという情報もあったが、自分はあまりなかった。10年くらい前によく効く吐き気止めの薬が出たらしく、それ以降は吐き気の副作用もだいぶ減ったらしい。

③ 発熱
ずっと熱が続くということはなかったが、抗がん剤投与のタイミング、特にブレオのタイミングで熱が出てしんどくなるということはあった。2クール目の3回目のブレオ投与直後に、アナキラフィーショックのようなものが出てこれが一番きつかった。投与直後に熱が急に41度くらい出て、悪寒でふるえて痙攣して意識朦朧となって、雪山とかで凍死するときってこんな感じなのかなとおぼろげに思ったことを覚えている。ただ、それも適切に薬を投与してもらったおかげで翌日にはおさまった。ただ、後述の通りこの反応のために間質性肺炎が発覚してその後のブレオ投与を控えることになった。

④ 体力的・精神的なもの
これは抗がん剤投与に関係なく、長期入院一般に言えることだと思うが、とにかく長期になると、体調不良との相乗効果で精神面、体力面もかなり滅入ってくる。歳とってから長期入院すると一気に死に近づくだろうなと強く感じた。とにかくうまく自分で意識的に機嫌を取っていくことが重要だった。自分の場合は、一次外出許可で3回ほど自宅に日中戻れたことが大きかった。また、白血球の値がいいタイミングの時期は、1時間くらいの昼外出許可を出してくれたので、少し病院のまわりを歩いて感染に気をつけてランチするということは精神安定に大きく役立った。最初のころは、体力の低下に気づいていなので、たいして歩いてないのに驚くほど消耗して、外出先でクラクラして動けずしばらく座り込んだり、午後寝込むということもあった。道端のブロックに座り込みながらなんとも情けない感覚に襲われたのはよく覚えている。ただ、徐々に塩梅もわかってきて後半はうまく対処できた。何事も慣れが大事。

⑤ 脱毛
髪の毛は1クールの最後あたりからすごい勢いで抜けてきた。

ある朝の枕

20日目くらいに病室でバリカンを借りて坊主にした。最初は大変ショックだったが、数日もすると慣れてきた。何事も慣れが大事。

【第4クールの追加】
2クール目のブレオでアナキラフィーショックのようなものが出た際に、念のためCTを撮ったら、肺に多少の影が見られるとのことで、間質性肺炎という抗がん剤に伴う症状が疑われた。そのため、それまでブレオは9分の5まで投与していたが、それ以降はリスクが高いので中止するということになった。そして、BEP療法のうちBを抜いたEP療法に切り替え、1クール追加するということに。そのため、第3クールの9日目で急遽退院して、第4クールからの入院に備える流れになった。
第4クールは6日目で退院したが、体力的に薬の蓄積があったためか、一番しんどかった。

【その他感想】
入院前は仕事のほかにも、勉強読書とか映画とかゲーム(switch)とか色々とやろうと目論んでいたけれど、能動的に動くこと、情報を自分から摂取するのがとにかくしんどい時間が多く、受動的な時間が多かった。ゲームすらやる気が起きない、できないという状態。かろうじて、動画をボーっと見るとかオーディブルで聞き流す(但し内容はあまり入ってこない)位で、ひどいときは動画も見る気力が出なかった。仕事は、人にお願いできるものはなるべくお願いして、どうしても自分で対応しないといけないものはなんとか体調を見ながら対応するという感じだった。コロナ以降打ち合わせもオンラインが多く、それは今回非常に助かった。一応、楽天で1万円位のウィッグを買って、オンラインミーティングに備えたりにしたけれど、なんかめんどくさくなって結局一度も使わなかった。オンラインとはいえ、いきなりスキンヘッドになった様子を見て、クライアントの反応はそれぞれあった中で、某J省庁は例外なくみなさん全くノーリアクションでさすがだなあと思ったり(苦笑)。
なお、入院のことを予め説明せざるを得ないクライアントには説明したけれど、とても配慮して頂きただただ感謝だった。また、仕事も快く助けてくれた同業の友人たちにも非常に助けられた。人間関係に生かされているなあと改めて感じた。
入院を知ってわざわざお見舞いにもきてくれた友人達にも感謝にたえない。わざわざお願いして、買ってきてくれたジャンクフードの差し入れとか色々ありがたかった。親友が一時外出のタイミングで来てくれて、車で連れ出してくれた食べた老舗の店のつけ麺はびっくりするほどおしくなかったけど(笑)思い出深い。ありがとう。入院前に同期メンバー一同からもらったイソップのシャンプーとボディーソープもありがたかった。一時退院して再入院の際の持っていく荷物にシャンプーがなくなっていたのて、なんか荷物にシャンプーなかったんだけどと妻に伝えたら、ボディーシャンプーだけでいいでしょ、と言われたのはいい思い出か。笑

【入院費用など】
仕事をする必要があったこともあり個室にしたため、60日以上入院となるとやはり費用もそれなりだった。全部で200万円~300万円だったと思う。ただ、そのうち大部分が個室代の差額。個室代の差額は1日あたり3万円弱だった。個室代差額なければ、高額医療費費制度もあり、1カ月20数万円程度の負担で済んでいるはず。普段は家族5人分の健康保険料で毎月数万円払っているけれど、改めて日本の社会保険制度の充実ぶりを実感した次第。なお、たまたま妻に言われて昔に入っていたがん保険と都民共済の入院保障で今回の病院代は全額賄えたのでそこはラッキーだった。これがなければ精神的にもう少し凹んでいたかもしれない。


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